「自分の価値観がひっくり返るものは、きっと他の人の価値観もひっくり返せると思うんです。それが一番の鉱脈になります」。石井さんは作品を書く時のテーマ選びについてそう語った=東京・表参道で立教大・宇野美咲撮影 国内外の貧困、災害、事件、福祉などの現場を取材し、人間の本質や社会の闇をありのままに描くノンフィクション作家の石井光太さん(49)。こうした重厚な作品を次々に生む原動力は何なのか。将来、石井さんと同じ道を歩みたいという思いを胸に、その過去や作家としての活動に迫った。原点としての成城 もし、もう一度人生をやり直せるとしたら? 筆者の問いかけに石井さんはこう答えた。「作家になる道を選びます。書かないという選択肢はありません」Advertisement 作家人生への足掛かりは、生まれ育った東京・成城の地にあった。舞台美術家の父を持ち、幼少期から、周囲の人々よりも多くの芸術に触れて生活してきた。物心ついた時から作家になることを考えはじめ、大学時代は授業にも出ず、ひたすら文章修業に励んだという。 「ペン一本で一から十まで全部自分で作品を作れて、それが人の心を震わせることができるっていうのが、とにかくかっこいいと思ったんですよね」 しかし、石井さんの劣等感の源もまた、生まれ育った成城という街にあった。幼い頃から本や映画に触れ、物語に影響を受けた石井さんは、高級住宅地として知られる成城が持つきらびやかさを嫌った。幼い頃から触れてきた小説や映画で描かれる、生身の人間のまっすぐな心にひかれ、金の力で装飾された世界を冷ややかな目で見ていたという。 何よりも嫌ったのは成城に住んでいるというだけで、「お金持ち」のレッテルを貼られることだった。成城にはお金持ちだけでなく、裕福でなくても代々この地に住んでいる家庭も多い。石井家は後者の側であり、そうした偏見のせいで本当の自分を見てもらえない気がしたのだという。「作家になっていなかったらどんな人生を送っていたと思うか?」という記者の質問に対して、「考えてもしょうがないことは考えないね」とあっけらかんとした態度の石井さん=東京・表参道で立教大・宇野美咲撮影生命力の源を追い求めて そんな石井さんは物語の中だけでなく、現実世界の中にも、着飾ることもできず、必死に生きるしかない生身の人間の姿を求めた。小学生の頃から、複雑な家庭の事情を抱えた子や精神・知的に問題のある子に歩み寄り、大学卒業後は、当時内戦の最中だったアフガニスタンと、その影響で難民のあふれるパキスタンにも行った。 そして、そこで受けた衝撃が、その後の石井さんの作家人生を決定づけることになる。 道端に連なる数えきれないほどの物乞いや地雷で足を失った人、難民キャンプのひどい生活環境など、想像をはるかに超える悲惨な現実に打ちのめされた。しかし、石井さんが注目したのは現地のひどい現状ではなく、そこで生きる人々が持つ生命力だった。どんなにひどい環境でも、生きることを諦めない人々の生命力の源は一体何なのか。「もっと追い求めて、活字にしたいと思ったんです」事実に織り交ぜる芸術的要素 ノンフィクションというジャンルに挑戦をしたのは、ノンフィクションが持つ性質のためだ。「事実というのは、何があっても揺るがないものであるわけじゃないですか。自分が体験したこと、見たことっていうのは誰が何と言おうと絶対的なもので、たとえ時代が変わっても揺るがないんですよ。だから、それを自分が書くことにすごくひかれたんです」 ただ石井さんの作品は、事実を尊重しつつも文学的な虚構表現も織り交ぜるという、独特の筆致をしている。それがノンフィクション賞の選考過程でしばしば批判されることもあるが、石井さん自身は「芸術に昇華することでしか伝えられないものがあると思います」と意に介さない。 「感情を震わせるというのは、事実をただ伝えるだけでは難しいと思うんですよ。芸術というものによってカタルシスが起きて、人は心を震わせ、そして変わる。文芸表現の最大の魅力はそれができるということです」当事者への徹底的な取材に基づいて、人間の本質を描き出す石井さんの作品。緻密に書かれる現場の様子に読者もその場にいるような感覚になる=早稲田大・竹中百花撮影読者を揺さぶる作品世界 そんな独特の筆致が特色である石井さんの作品は、緻密な取材と他にはない視点のユニークさ、面白さでも知られている。 例えば、ベストセラーとなった「遺体」では、東日本大震災時の遺体安置所に焦点を絞り、そこで身元確認を行う歯科医師や遺体を運び出す消防隊員など、殺伐とした現場で働くさまざまな職種の人々に数カ月にわたって取材を行った。そうした、マスメディアの報道では伝えられない現場の様子や徹底した取材から描き出される人々の素直な感情が、私たち読者の心を揺さぶる。 一体どのようにして取材に臨むのだろうか。「マスメディアがやっていることと同じことをやってもノンフィクションにはならないんですよね。僕が遺体安置所に行ったのは、そこが一番怖いところだったからです。怖いところにはメディアの人も寄り付かない。そういうふうにしてまだ注目されていないところを見つけるんです」と石井さんは語る。 また、石井さんは現場の取材記者にとってハードルの高い被害者取材についても“つながり”が大事だということを話してくれた。「真正面から話を聞きに行ったって、そりゃ断られますよ。例えば東日本大震災の取材なら、一度話を聞いたお坊さんに他の取材対象者を紹介してもらうし、インドの物乞いに取材したかったら、現地の路上生活者を通訳にして話を聞く。そういうふうに身近なところからつながっていけば、相手も自然と口を開いてくれるはずです」 そんな“つながり”を大事にする石井さんだが、さまざまな取材テーマに挑戦することもまた、つながりを作るためには大事なことなのだと指摘する。 「世界っていうのは広いようで狭いと思います。例えば、戦後の上野にいた浮浪児についての話を書いていた時、取材した人がたまたま別の取材先と関わりがあった人で、その人の紹介のおかげで児童虐待による殺人をテーマにした『「鬼畜」の家』っていう別の本が書けました」 そう話した上で石井さんは「だからいろんなことをやるってかなり重要です。いろんなもののつながりの中で次のネタも見つけていけますし」と続けた。「新しいことをやる人はいつだって否定されます。でもそこで諦めずに続けられるかどうかが、分かれ道になるんじゃないですかね」と、自分を貫き続けることの大事さを語る石井さん=東京・表参道で、立教大・宇野美咲撮影自分を信じて書き続ける 海外の障害のある物乞いたちを扱った「物乞う仏陀(ぶっだ)」でデビューして以来、20年以上ノンフィクション作家として活動してきた石井さんが最後に語ったのは、「自分を信じて書き続ける」ということだった。 「ノンフィクションは売れないからやめとけと散々言われたけど、僕は自分なら絶対にできると思っていたし、不安はなかったです。それで自分が目指していたものを書き続けていたら、こうなっていました」と真剣な表情で語った。 記者がノンフィクション作家志望だと知ると、「社会とかを言い訳にせず、貫き続けるっていうのが一番大事だと思います。逆にノンフィクションの書き手が減っている今がチャンスなんじゃないですかね。書き続ける人が少ない世界ですから、書き続けてさえいれば、いつの間にか売れていますよ」と背中を押してくれた。私も石井さんのように自信を持って作品を世に送り出し続ける人になりたい。【早稲田大・竹中百花(キャンパる編集部)】石井光太(いしい・こうた)さん 1977年、東京・成城生まれ。日本大学芸術学部卒業後、アジアを中心とした海外での放浪などを経験し、ノンフィクション作家としてデビュー。代表作に「遺体」「物乞う仏陀」「43回の殺意」などがある。