「ばいせん屋habu」の前に立つ土生佳祐さん=北海道長沼町で2026年3月10日、高山純二撮影写真一覧 常に音楽とともに生きてきた。 北海道長沼町でコーヒー豆の焙煎(ばいせん)店を営む土生佳祐さん(43)。 小学3年生の時、初めてドラムのスティックを握ると、ハードロックのとりことなり、エレキギターにのめり込んだ。小学校高学年で兄弟や幼なじみとバンドを組み、早くもライブハウスの舞台に立った。 地元・室蘭で、初めてライブハウスのステージに立った時、言い知れぬ高揚感に包まれたことを覚えている。Advertisement 演奏するのは、兄の影響で聞いていた英国のロックバンド「ディープ・パープル」や「レッド・ツェッペリン」の楽曲。自身はエレキギターとボーカルを担当し、子どもたちのバンド演奏は大人受けも良かった。 「小さい頃、カラオケを歌って拍手される喜びがあった。その延長線上のような感覚で、とにかく楽しかった」 原体験は、その後の生き方にも大きく影響する。 中学校でもギターを弾き続け、卒業後は上京することを希望した。とはいえ、まだ15歳。両親はあてもなく東京に行くことを心配し、まずは札幌の高校に進学することで落ち着いた。 高校3年間は校内外のバンドを掛け持ちし、オリジナルの曲も作った。拠点としていたライブハウスのオーナーに勧められ、オリジナル曲をCDに録音して販売することもあった。バンド仲間と上京も… 卒業後、バンド仲間の同級生とともに上京する。「気持ちの中に大学進学などは選択肢になく、『音楽でメジャーになってやる』という気持ちしかなかった」 しかし、大きなつても、あてもない状況は3年前と変わっておらず、何から手をつけていいかも分からない。 小さなコネクションを頼りに、日本武道館でライブを開いたこともあるメジャーバンドのスタッフとして働き、歌詞を見てもらうこともあったが、その次にはつながらなかった。 しかも、音楽の方向性の違いから、同級生とのバンドは上京後1年も持たずに解散し、一人きりになってしまった。海外で演奏する土生佳祐さん(左)=本人提供写真一覧 それでも、メジャーデビューを夢見て、エアコン清掃や豆腐屋、バーなどアルバイトを転々としながら、弾き語りのスタイルで音楽を続けた。 思い描いた自分になれない悔しさや歯がゆさが募り、夢を諦めつつあった25歳の頃、世界1周をしたというバーの同僚から「一度、旅に出てみたら?」と勧められ、ギターを持ってバンコクに向かった。異国の地で衝撃の出会い 路上で演奏するつもりだったが、やはり異国の地ではおじけづき、なかなか一歩を踏み出せない。 ある日、ウイークエンドマーケットに行くと、目の見えない人たちが太鼓をたたいて演奏し、歌を歌ってチップをもらっていた。 「彼らの姿に衝撃を受け、自分もそこで演奏したいと思った。なんとなく座った場所で演奏したら、意外とチップをくれる人もいて、日本よりも反応がよかった」 言葉が分からなくても、音楽でつながれる。編み物などものづくりをして、売っている人もいる傍らでギターを鳴らした。 「曲を作り、歌うことが自分自身のものづくりなんだと思うようになり、そこから自信を持てるようになった」 それ以来、ラオスやカンボジア、米国などに行き、路上やライブハウス、音楽フェスで演奏した。 海外で歌い続ける自分自身を表現した曲を作り、その曲を収録したCDアルバム「ハーモニー」を自主販売したところ、音楽事務所の目に留まり、商業販売された。 人とのつながりや温かさを表現し、それが認められたのかもしれない。一度は諦めかけた夢が実現した瞬間だった。【高山純二】土生佳祐(はぶ・けいすけ)さん 1982年生まれ、室蘭市出身。北星学園新札幌高(現北星学園大付属高)卒。東京を拠点にミュージシャンとして活躍。2022年冬に長沼町に移住し、「ばいせん屋habu」をオープンした。