南極観測船SHIRASE5002をバックに立つ杉木洋介さん=千葉県船橋市で2026年1月29日午後3時32分、石塚孝志撮影 第3代南極観測船「SHIRASE5002」が千葉県船橋市内の京葉食品コンビナート南岸壁に係留されている。一般公開には年間約1万人が訪れる人気ぶり。元乗組員で、現在は艦内ツアーガイドを務める杉木洋介さん(74)に、SHIRASEや南極への思いを聞いた。【石塚孝志】 ――SHIRASE5002について教えてください。 ◆宗谷、ふじに続く3代目の南極観測船です。全長134メートル、排水量はふじの2倍以上の1万1600トン。1983年から2008年まで日本と南極を25回往復しました。現在は一般財団法人WNI気象文化創造センターに所属しています。Advertisement 南極観測船は毎年11月に日本を出港し、途中オーストラリアに寄って約1カ月で南極昭和基地沖に接岸し、翌年4月に帰国します。 ――なぜ船橋に係留されているのですか。 ◆退役後、スクラップにされる予定でした。しかし、千葉市の気象情報会社ウェザーニューズの創業者、故石橋博良は南極観測の文化継承が途切れてしまうと言って環境のシンボルとして活用したいと国へ提案しました。その後の公募で取得が決定。水深10メートル以上の係留地を探して、千葉市にも近い船橋に決まりました。艦番号に合わせて10年5月2日に一般公開が始まり、船名は「しらせ」から「SHIRASE」に変わりました。 ――杉木さんは海上自衛隊のヘリコプターパイロットでした。SHIRASEの乗組員になったきっかけは。 ◆海上自衛隊の航空学生の時、ふじがヘリコプターを載せていると知り、ただ南極に行きたいと憧れてヘリのパイロットになりました。志願して海自の一番北の航空基地・青森県むつ市の大湊基地で寒冷地の飛行法を学びました。さらに操縦士の中でも最高の技量を持つ資格が必要で、取得に9年かかりました。幸運なことに大湊の飛行隊長だった人がふじの飛行長になり、その人から声が掛かり、乗船が決まりました。 ――南極ではどんな活動をしましたか。 ◆主に物資や人員の輸送です。特にふじでは、厚い氷のため昭和基地に接岸できないことも多く、燃料はドラム缶に移し替えて、8~10本をヘリに下げて1日に何百回も往復したのは大変でしたね。 でも、陸までつながる定着氷に着いた時に見える南極大陸が、すごくすごく印象に残っています。最初は雲かなって思うんですけど、近づくとそれがのし餅みたいに見えてきて、あ、あれが南極だ、氷の大陸なんだと。何回見てもいいですよね。 ――ツアーガイドの仕事とは。 ◆艦橋などの船内や甲板などを案内します。昭和基地や南極観測の意義を説明し、南極の氷を触ってもらう体験もあります。ペンギンなど動物の話もします。 航行中の甲板は運動場として使われ、走ったり、テニスをしたりしていました。でもボールを海に落としたことはないんですよ。ひもがついているんです。食事では生野菜が貴重で、カイワレダイコンの製造機もありました。230人の乗員に分けると1人わずか数本でしたが。 そういった体験話を交えながら、実際に南極に行った気分にさせてあげたいなと思っています。ふじやSHIRASEは、大好きな南極に連れて行ってくれた永遠の恋人だって言っているんです。ぜひ見に来てください。すぎき・ようすけ 1952年、大分市出身。高校卒業後、海上自衛隊航空学生となり、ヘリコプターのパイロットに。南極観測船ふじで第21・22次、同しらせで第39・40次の計4回南極隊に参加。定年退官後はバスの運転手をしていたが、自衛隊同期に誘われ、2019年1月から艦内ツアーガイドを務める。見学の申し込みは「SHIRASE」のウェブサイトから。