クルマを超えて深掘り 鶴見泰寿毎日新聞 2026/3/28 05:00(最終更新 3/28 05:00) 有料記事 3194文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷草地が広がる旧日産自動車村山工場の跡地=東京都武蔵村山市で2025年12月22日午後1時43分、鶴見泰寿撮影 「いきなりのことで、ぼうぜん自失でした」 1999年10月17日の出来事を、当時東京都武蔵村山市長だった志々田浩太郎さん(59)は、そう振り返る。 日産自動車から告げられた、同社村山工場の閉鎖方針。「コストカッター」の異名を取ったカルロス・ゴーン最高執行責任者(COO)=当時=が、経営危機に陥った日産の経営再建計画「日産リバイバルプラン」を発表する前日だった。 それから四半世紀余り。工場跡地は草地となり、静けさがただよう。日本を代表する企業の「城下町」だった頃の面影は乏しい。 ユーザー、メーカー、企業城下町。それぞれの現場から報告します。(全3回の第3回) 第1回・見え始めた「マイカーを持たなくなる未来」 第2回・日本の大衆車メーカーが「下請け」に? 第3回・依存より〝協力〟選んだ日産の城下町 ゴーン改革で業績の「V字回復」を果たしたものの、その後の拡大路線が行き詰まり、再び生産能力が過剰になった日産は2025年5月、大規模なリストラを伴う再建計画を発表。その一環で7月、主力の追浜工場(神奈川県横須賀市)での車両生産を27年度末までに終える方針も示した。 リバイバルプラン以来となる、国内生産体制の大幅な縮小。村山工場閉鎖とも重なってみえる。「日産車もう乗らない」 志々田さんによると、その日、日産の副社長らが市役所を訪れ、開口一番「村山工場を閉鎖します」と告げたという。 市中心部にあった村山工場は、東京ドーム30個分に当たる約140万平方メートルの敷地があり、従業員約3000人が働いていた。「人口や税収、下請け企業などへの影響は計り知れない」。街の将来を案じた。 「もう一度考え直してほしいと言いましたが『決まったことなので』と。淡々と話して帰っていった」 一方的な通告に、思わず「日産車にはもう乗らない!」と周囲にぶちまけたという志々田さん。同時に「大企業を前に、行政や市長といってもいかに弱いのかを、つくづく感じました」。 無力感にさいなまれながらも「けんかして…この記事は有料記事です。残り2343文字(全文3194文字)【前の記事】日本の大衆車メーカーが「下請け」に? 迫る中国新興勢力の足音関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>