映画の推し事:トランプと戦争で揺れたアカデミー賞 「ワンバト」「罪人たち」2強が映す米社会

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第98回アカデミー賞授賞式で「ワン・バトル・アフター・アナザー」の最優秀作品賞受賞を喜ぶポール・トーマス・アンダーソン監督(前列左)と出演者ら=ロイター 2026年(第98回)アカデミー賞授賞式が3月15日(現地時間)、米ロサンゼルスで開催された。 作品賞、監督賞を含む6部門を制した「ワン・バトル・アフター・アナザー」と、主演男優賞や脚本賞などで強烈な存在感を示した「罪人たち」が、今期のオスカー戦線を牽引(けんいん)した“2強”として注目を集めた。 シーズンを通して批評家賞を席巻した前者に対し、先立って発表された全米映画俳優組合賞(SAG賞)から名称を改めたアクター賞での快勝でぐっと勢いを増した後者。Advertisement 最終盤まで決定的な差が見えにくいまま迎えた授賞式は、結果として「ワン・バトル・アフター・アナザー」が頂点に立つ形となったが、その構図は現在のアカデミー賞の評価軸(社会性)と作品賞の投票制度が結びついた結果であり、さらにはハリウッドの立ち位置そのものを映し出していた。「ワン・バトル・アフター・アナザー」Ⓒ2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.作品が帯びる社会性 今回のアカデミー賞を語る上で欠かせないのは、「ワン・バトル・アフター・アナザー」と「罪人たち」が、いずれも極めて強い社会性を帯びた作品だった点だ。 「ワン・バトル・アフター・アナザー」は、元革命家という設定の主人公(レオナルド・ディカプリオ)を通じて「理想の崩壊と再生」を描く。現代アメリカの政治的分断や過激主義をテーマに据えた、いわば“ポスト・トランプ時代の寓話(ぐうわ)”だ。 脚色賞、監督賞、作品賞を受賞したポール・トーマス・アンダーソンは、監督賞の受賞スピーチで、「この映画は子供たちのために書いた。私たちが残す世界の混乱について謝罪しつつ、彼らが常識と良識をもたらしてくれることを願っている」と語り、作品の問題意識を明確に示した。 一方の「罪人たち」は、黒人差別を正当化したジム・クロウ法時代の黒人の苦難とバンパイアという大胆なジャンル融合を通じて、黒人史、暴力、宗教、音楽を横断的に描いた意欲作だ。ジャンル映画の形式を用いながら歴史と人種を語るという点で、現代映画表現の最前線に位置する。 撮影監督のオータム・デュラルド・アーカポーが黒人としても、黒人女性としても初の撮影賞受賞という歴史的快挙を成し遂げ、マイケル・B・ジョーダンが主演男優賞を受賞して、1964年のシドニー・ポワチエ、2002年のデンゼル・ワシントンから連なる黒人俳優の系譜をつないだ。 100年近いアカデミー賞の歴史において、黒人俳優としての同賞受賞はわずか6人という観点からも、映画史的意義を持つことになりそうだ。「罪人たち」Ⓒ2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED. IMAXⓇis a registered trademark of IMAX Corporation. Dolby CinemaⓇ is a registered trademark of Dolby Laboratories“アメリカを映す鏡”浮き彫り ここ10年の作品賞を振り返れば、「ムーンライト」「シェイプ・オブ・ウォーター」「パラサイト 半地下の家族」「ノマドランド」「コーダ あいのうた」「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」「オッペンハイマー」など、ジャンルを問わず、いずれも社会、歴史、アイデンティティーと深く結びついた作品が選ばれてきた。 ジャンルの違いを超え、アカデミー賞においては「何を語るか」「社会とどう接続するか」が最重要視されているのだ。 この文脈において、両作はまさに現代オスカーの王道に位置する。アカデミー賞とは、単なる映画賞ではなく、「アメリカ社会を映す鏡」であるという性格が改めて浮き彫りになった。投票制度改定で最大公約数有利に第98回アカデミー賞で、最優秀作品賞、同監督賞、同脚色賞を受賞し、トロフィーを手にする「ワン・バトル・アフター・アナザー」のポール・トーマス・アンダーソン監督=ロイター 最終的に作品賞を制したのは「ワン・バトル・アフター・アナザー」だった。その背景には、アカデミー賞特有の投票システムがある。 作品賞は、全会員による順位選択式投票で決定される。1位票の多さだけでなく、2位、3位にどれだけ広く支持されるかが重要となる仕組みだ。いわば「嫌われにくい作品」が有利になる。 「ワン・バトル・アフター・アナザー」は批評家からの圧倒的支持と普遍的テーマにより、幅広い層の上位に入りやすい。一方、「罪人たち」は熱狂的な支持を集める半面、ジャンル性や暴力性ゆえに敬遠する層も一定数存在する。 結果として、最大公約数としての支持を得た「ワン・バトル・アフター・アナザー」に軍配が上がった。 もっとも、「罪人たち」の健闘はアカデミー会員構成の変化とも無関係ではない。16年以降、女性や非白人、海外会員が増加し、社会的なテーマへの感度やジャンル映画への評価が高まっている。近年のさらなる会員拡大で、有色人種や女性の割合が大きく増えたことが、その追い風となったことは明白だ。 さらに今回から、全ノミネート作品の視聴を義務付ける仕組みが導入され、投票の質の向上が図られた。一方で、視聴負担の増大による棄権者の増加という副作用も指摘されている。 制度全体としては、「人気投票」から「合議制」に寄せる方向が強まり、結果として最大公約数的な作品が選ばれやすい構造がより強化されたといえる。第98回アカデミー賞で4冠の「罪人たち」の受賞者。(右から)最優秀主演男優賞のマイケル・B・ジョーダン、同撮影賞のオータム・デュラルド・アーカポー、同作曲賞のルドビグ・ゴランソン、同脚本賞のライアン・クーグラー監督=ロイターハリウッドが発信した価値観は 授賞式そのものもまた、単なる結果発表の場ではない。特に10年代後半以降、オスカーは「ハリウッドが世界にどのような価値観を発信するのか」を示す舞台として注目されてきた。 26年の授賞式では、全体として政治的トーンは抑制されていたが、それでも随所に現在の世界情勢を反映する発言が見られた。 象徴的だったのは、国際長編映画賞のプレゼンターを務めたスペイン人俳優ハビエル・バルデムの言動だ。 レッドカーペットではイラク戦争時と同様のピンを胸に着け、「トランプとネタニヤフが作った違法な戦争」と批判。壇上では「No to war, and free Palestine」と明確な反戦のメッセージを発した。 また、ガザ地区の状況を描いた国際長編映画賞候補作の関係者は「恒久的停戦」を求めるピンを着用し、パレスチナやレバノンでの暴力停止を訴えた。さらに複数の出席者が「ICE OUT」ピンを着用し、ICE(移民・税関捜査局)と移民政策への抗議の意思を示すなど、レッドカーペットの段階から政治的メッセージは可視化されていた。銃社会、反権威主義、多様性支持第98回アカデミー賞で最優秀主演男優賞を受賞した「罪人たち」のマイケル・B・ジョーダン=ロイター 壇上でのスピーチにも、強い社会的メッセージが込められた。 ドキュメンタリー短編賞受賞作「あなたが帰ってこない部屋」の関係者は、作品に登場する言葉を引用しながら、「銃による暴力は子どもや若者の死因の第1位。もし世界が犠牲者の空っぽの部屋を目にしていれば、米国は今とは違っているはずだ」と訴えた。 ドキュメンタリー長編賞受賞作「Mr.Nobody Against Putin」の製作チームは、より踏み込んだ発言を行った。 共同監督デビッド・ボレンスタインは、「政府が人々を殺害するとき、私たちは共犯者になる。寡頭政治がメディアを支配し、私たちが沈黙するときも同じだ」と述べ、市民の責任と権威主義への抵抗を強調した。 さらに、異例の同点受賞となった短編実写映画賞では、受賞作の一つ「Two People Exchanging Saliva」の共同監督ナタリー・ムステアタが、「奇妙でクィアで、女性たちによって作られた映画を支援してくれた」ことへの感謝を述べ、多様性への支持を表明した。「罪人たち」Ⓒ2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.IMAX is a registered trademark of IMAX Corporation. Dolby Cinema is a registered trademark of Dolby Laboratories誰にとっても中途半端? 一方で、授賞式全体のトーンは慎重にコントロールされていた。ホストのコナン・オブライエンは、「今は混沌(こんとん)として恐ろしい時代」と現状認識を示しつつも、過激な政治的主張には踏み込まず、ユーモアを基調に進行した。 米メディアの評価も、この“抑制”に注目している。米紙ロサンゼルス・タイムズは「政治ネタはあるが抑制され、感情的、個人的なスピーチが中心」と分析。業界紙バラエティーは「上品だが安全すぎる」と評し、炎上回避型の設計を指摘した。 経済誌フォーブスも「2026年のアカデミー賞授賞式が明らかにしたハリウッドの限界」と結論づけた。背景には、政治的発言への疲労感、グローバルな観客への配慮、SNS時代におけるリスク管理などがあると考えられる。 しかし、この“抑制”は同時に評価の分断も生んだ。リベラル層からは「弱い」「逃げている」と批判される一方、保守層からは「依然としてリベラル寄り」との反発もある。結果として、「誰にとっても中途半端」という印象を与えかねない、いわばダブルバインドの状況にある。「ワン・バトル・アフター・アナザー」Ⓒ2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.「道徳的リーダー」か「作品通じて語る」のか 18年前後、#MeTooやタイムズアップ運動の中で、オスカーは「発言すること=責任、沈黙=共犯」という強い空気を帯びていた。それに比べると、26年は明らかにトーンダウンしている。ただし見方を変えれば、今年は「作品そのものでメッセージを語る」方向への回帰ともいえる。実際、受賞作はいずれも強い社会性を内包していた。 ハリウッドは今後も「道徳的リーダー」であるべきなのか。それとも、作品を通じて語ることに専念すべきなのか。答えは容易ではない。 26年の授賞式は、そのあり方とハリウッドの立ち位置、そして映画文化の役割そのものが再定義されつつあることを示した転機として、記憶されることになるだろう。(今祥枝)