オンラインの森:無垢な怪物のロマン デル・トロ版「フランケンシュタイン」に心を揺さぶられた!

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オンラインの森毎日新聞 2025/11/8 22:00(最終更新 11/8 22:00) 2669文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「フランケンシュタイン」Ⓒ 2025 Netflix, Inc. イギリスの作家メアリー・シェリーが1818年に発表した「フランケンシュタイン」は、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」(97年)と同じように、歴史上長きにわたって繰り返し映画化されてきたゴシック小説だ。最もよく知られているのは、ジェームズ・ホエール監督がユニバーサルで手がけたモンスターホラーの古典「フランケンシュタイン」(1931年)。同作品でボリス・カーロフが体現した不気味なクリーチャーは、シェリーが生んだ“フランケンシュタインの怪物”の外形的イメージを鮮烈に決定づけた。「フランケンシュタイン」Ⓒ 2025 Netflix, Inc.ギレルモ・デル・トロ念願の企画 「パンズ・ラビリンス」(2006年)、「シェイプ・オブ・ウォーター」(17年)などで名高いギレルモ・デル・トロ監督は、母国メキシコでの少年時代に鑑賞したホエール版の「フランケンシュタイン」と続編「フランケンシュタインの花嫁」(1935年)に魅了され、長らくシェリーの小説の映画化を夢見てきた。Advertisement そしてこのたびNetflixの巨額の資金を得て、念願のプロジェクトを理想的な形で実現。2時間半におよぶ本編の長さのみならず、あらゆる細部に意匠を凝らした映像世界のスケールの大きさにド肝を抜かれるゴシックロマンにしてスペクタクル超大作である。 一般的に知られる「フランケンシュタイン」のあらすじは次のようなものだ。生命の創造という野望に取りつかれた科学者ビクター・フランケンシュタインが、人里離れた研究施設で死体のパーツを接合し、巨大でグロテスクな怪物に命を与えることに成功する。やがて恐れをなしたビクターは怪物を始末しようとするが、逃げ出した怪物が群衆パニックを引き起こしてしまい……。「フランケンシュタイン」Ⓒ 2025 Netflix, Inc.北極圏シーンにほとばしる意欲 ところがデル・トロ監督が放ったこの最新バージョンは、冒頭から見る者を驚かせる。オープニングの舞台は何と北極圏だ。氷に閉じ込められたデンマークの探検船が、重傷を負ったビクター・フランケンシュタイン男爵(オスカー・アイザック)を発見する。ビクターはアンダーソン船長(ラース・ミケルセン)に保護されるが、まもなく謎めいた大男、すなわちフランケンシュタインの怪物が船を襲撃し、数人の乗組員が殺害されてしまう。 そしてビクターはアンダーソンに、科学者である自分がいかにして怪物を創り、なぜ北極圏に行き着いたのか、忌まわしい過去を語り始める。 この北極圏を舞台にした冒頭シーンは、シェリーの小説のクライマックスにあたる場面で、これまでホエール版や「フランケンシュタインの逆襲」(57年)などのハマープロのシリーズも含め、ほとんどのフランケンシュタインもので省略されてきたパートだ。 ケネス・ブラナーが監督&主演を兼任し、ロバート・デ・ニーロが怪物を演じた「フランケンシュタイン」(94年)には例外的に北極圏のシーンがあったが、今回のデル・トロ版はさらにスケールアップ。シェリーの原作小説を可能な限り忠実に映像化しようと試みた意欲がほとばしるオープニングになっている。「フランケンシュタイン」Ⓒ 2025 Netflix, Inc.圧巻のプロダクションデザイン その半面、デル・トロ監督は独自の翻案を施し、物語を語るうえで異なるふたつの視点を採用した。前半の語り手はビクターだ。厳格な父親に虐待されて育ち、最愛の母親の死にショックを受けたビクターが、その悲しみを乗りこえるために“生命の創造”に没頭していった過程を描出。 とりわけ海辺にそびえ立つ塔の異様な外観と荒涼としたロケーション、その内部の研究施設のプロダクションデザインが圧巻で、神をも恐れぬ禁断の実験に取り組むビクターのゆがんだ情熱、エゴや狂気が、このうえなく壮麗な映像美で描かれていく。 さらにすごいのは、物語の視点が怪物に切り替わる後半部分だ。生みの親であるビクターに抹殺されかけた怪物は、からくも炎上する塔から脱出し、あてどなく未知の外界をさまようことになる。 怪物はそのおぞましい風貌、粗野な振る舞いゆえに、あらゆる人間の目には“醜悪な化け物”としか映らない。しかしデル・トロ監督はこの怪物を、生まれたての赤子のように無垢(むく)な存在として描いた。「フランケンシュタイン」Ⓒ 2025 Netflix, Inc.孤独が創造主への怒りに 暴力が渦巻く残酷な世界にひとりぼっちで投げ出された怪物は、とある農場に身を潜ませ、そこに暮らす盲目の老人と触れ合い、言葉と知性を授かる。こうして人間の優しさ、家族のぬくもりを初めて知った怪物は、皮肉にも誰の愛も得られない自らの孤独な境遇を嘆き、ビクターへの怒りを募らせていくのだ。 デル・トロ監督の真骨頂は、まさにこの後半のパートにある。「デビルズ・バックボーン」(01年)、「ヘルボーイ」(04年)、「シェイプ・オブ・ウォーター」などで、一貫して異形のアウトサイダーへのシンパシーを表明してきたデル・トロ監督は、名前すら与えられずこの世にうち捨てられた怪物の人間的な感情の目覚め、アイデンティティーの芽生えを探求。怪物役に抜てきされたジェイコブ・エローディもその期待に応え、特殊メークを施した外見からはうかがい知れない内面の複雑さを繊細に表現する。「フランケンシュタイン」Ⓒ 2025 Netflix, Inc.人間の本質とは 深遠な問い そして映画はクライマックスの最終章で再び北極圏のシーンへと戻り、生き別れた怪物とその創造主であるビクターが再び対峙(たいじ)する様を映し出す。そこでは真の怪物とは何か、人間の本質とは何なのかという深遠な問いかけに加え、いわば傲慢な父親と虐げられた息子の関係にある両者の葛藤が情感豊かに描かれる。 はたしてデル・トロ監督が最後に提示するのは、救いなき絶望か、それともゆるしという希望か。シェリーの小説を単なるモンスターホラーに仕立てず、悲劇的な神話性を強調した厳かな結末に、監督のメッセージが凝縮されている。「フランケンシュタイン」Ⓒ 2025 Netflix, Inc.アウトサイダーへの共感 かくしてデル・トロ監督はドラマとビジュアルの両面において、孤独なアウトサイダーへの共感、ゴシック調の美学へのこだわりという自身の特性を全面的に押し出し、映画史上最も壮大にして心揺さぶるフランケンシュタインものを完成させた。 怪物とビクター、双方の理解者となるキーパーソンのエリザベスにふんしたミア・ゴスの助演、撮影、美術、衣装、音楽の充実ぶりにも目を見張る本作は、キャスリン・ビグロー監督の「ハウス・オブ・ダイナマイト」、ノア・バームバック監督の「ジェイ・ケリー」とともに、Netflixが本年度の映画賞レースに送り出す“自信の一作”と言えるだろう。 一部劇場で公開後、2025年11月7日から配信開始。(高橋諭治)【時系列で見る】【前の記事】小栗旬×ハン・ヒョジュが開いた日韓クリエーター協業新次元「匿名の恋人たち」関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>