「できる限りの手打つべきだ」水俣病 行政責任認めた判断の核心

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毎日新聞 2026/5/2 14:00(最終更新 5/2 14:00) 有料記事 1888文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷水俣病関西訴訟の控訴審判決で逆転勝訴となり、記者に囲まれる原告の女性(中央)=大阪高裁で2001年4月27日、中村真一郎撮影 後手後手行政を断罪――。2001年4月27日の毎日新聞夕刊(大阪本社版)は判決をこんな見出しで伝えた。「公害の原点」とされる水俣病を巡り、関西に住む未認定患者らが起こした訴訟で、大阪高裁は被害を防がなかった国と熊本県の行政責任を高裁として初めて認めた。「国と県はできる限りの手を打つべきだった」。あれから四半世紀、判決を起案した当時の高裁判事に判断の背景を聞いた。 熊本県水俣市や周辺から大阪、兵庫などに引っ越した水俣病の未認定患者と遺族は、国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求め1982年に提訴した。94年の大阪地裁判決は国と県の法的責任を否定。メチル水銀を含む排水を海に流したチッソに限り賠償を命じた。 翌95年、政府は国の責任を棚上げしつつ、政治解決で未認定患者に一時金260万円などを支払うこととし、約1万人が受け入れた。だが、関西訴訟の原告らは訴訟を継続。控訴審で逆転勝訴につながり、04年に最高裁が国と県の上告を退け、判決が確定した。 「国と県はできる限りの手を打つべきだった、という考えが裁判所にあった」。元大阪高裁判事の古川行男さん(77)は振り返る。 最大の争点は行政責任を問えるのかどうか。控訴審で弁護団は、56年に患者が公式確認された後の59~62年に経済企画庁水質調査課(当時)の課長補佐だった汲田(くみた)卓蔵氏らを証人に呼び、水質保全に関する当時の法律や規則に基づく対策を取らなかった理由を追及した。 国側は、水質行政を担当した公務員に経験や蓄積がなく、水質保全に向けて試行錯誤を繰り返していた時期で、規制は到底不可能だったと主張した。 判決で高裁は、水質保全に関する当時の知見でも、遅くとも59年11月末時点でメチル水銀が水俣病の原因で、それを含んだチッソの排水の有害性を国と県は認識できていたとし、「発生拡大の防止には一刻の猶予も許されない状況があった」と排水規制を怠った不作為を厳しく指摘した。 古川元判事は「国や県は…この記事は有料記事です。残り1059文字(全文1888文字)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>