四国遍路に残る「善意のリレー」 道標石は巡礼者をどう導いた?

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毎日新聞 2026/5/1 13:30(最終更新 5/1 13:30) 有料記事 1510文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷オーストリア人のアルフレート・ボーナーが著書に掲載した道標石=愛媛県歴史文化博物館蔵 四国霊場八十八カ所の巡礼者のために遍路道沿いに設けた道標石(どうひょうせき)。多くが徒歩だった昭和前半期の四国遍路案内記にどう紹介され、遍路文化をどう映したか。愛媛県歴史文化博物館(同県西予市)の元専門学芸員、今村賢司さん(59)が調べてみると、数の多さや充実ぶりだけでなく、多くの独創や工夫があり、善意のリレーともいえる「弘法大師の道標石」の性格が浮かび上がってきた。 四国遍路文化をライフテーマとする今村さん。3月末の退職に当たり、「案内記類の作者が捉えた四国遍路の道標石」と題し、多くの写真記録とともに館の最新研究紀要に考察を発表した。 取り上げた案内記は①1930(昭和5)年の「札所と名所 四国遍路」(島浪男)②31(昭和6)年の「四国遍路のすすめ」(安田寛明)③同年の「同行二人の遍路」(アルフレート・ボーナー)④34(昭和9)年の「四国雑話」(安達忠一)⑤38(昭和13)年の「お遍路」(高群逸枝(たかむれいつえ))⑥43(昭和18)年の「画と文 四国遍路」(宮尾しげを)⑦50(昭和25)年の「四国遍路記」(橋本徹馬)。現在は使われていない旧遍路道が残り、伝統的な遍路環境が維持された時期。道案内のために江戸期から大正期に多く立った標石(ひょうせき、しるしいし)がどんな存在だったかを知ろうと、これらを読み込み、何度も遍路道に足を運んだ。 当時の四国霊場では、目の不自由な巡礼者を見かけるのは日常的だったとされ、①には「…この記事は有料記事です。残り891文字(全文1510文字)あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>