サザエさんと首相夫人にミニスカートを履かせた60年代のアイコン「ツイッギー」

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「ツイッギー」 Ⓒ Copyright Soho Talent Limited 2024 All Rights Reserved.写真一覧 1960年代、ロンドンはスイングしていた。音楽が街を揺らし、若者たちの鼓動がそのまま時代のリズムになっていた。 ビートルズやローリング・ストーンズが生まれ、クラブからあふれ出した音楽は海を越え、世界を熱狂へと巻き込んでいった。Advertisement カーナビーストリートやキングスロードには新しい装いの若者たちが行き交い、ブレザーに身を包んだ少年たちはスクーターを走らせ、少女たちはミニスカートで街を軽やかに歩いた。史上初めて膝上でカットされたミニスカートは、価値観からの「解放」そのものだった。 音楽もファッションも、映画も写真もアートも、それまでの英国の階級社会を打ち破ろうとする若者たちのエネルギーであふれかえっていた。この現象は66年、タイム誌によって「スウィンギング・ロンドン」と名づけられた。コックニーなまりのスーパーモデル 若者たちがこぞって英国の文化を塗り替えていたその年のある日。ロンドンに彗星(すいせい)のごとく登場した妖精がいた。その名は「ツイッギー(Twiggy)」。 14歳でモッズにはまり、週末ごとにメークをしてクラブに通う「小枝(twig)」のような少女は、わずか16歳でモデルとしてデビューした。 ボーイッシュなショートヘア。付けまつ毛にたっぷりのマスカラを付けたオリジナルのアイメーク。スレンダーなボディー、そしてすらりとした脚に映えるミニスカート。 まったく無名の痩せっぽちのティーンエージャーの登場が、それまでの「グラマラス=美」という常識を根底から覆した。「ツイッギー」 Ⓒ Copyright Soho Talent Limited 2024 All Rights Reserved.写真一覧 当時のモデルといえば上流階級出身者ばかりで、モデルの養成学校を出ているのが当たり前。対するツイッギーは、コックニーなまりの労働者階級の女の子だった。 専門の教育を受けたわけでもないのに、彼女はデビューしてたった3週間で世界のファッション界のトップに躍り出た。そしてツイッギーは「新しい美」ではなく、「新しい時代の顔」になった。背も低いし胸もない でも…… デビュー60周年を迎える今、元祖スーパーモデル、ツイッギーの人生に迫るドキュメンタリー「ツイッギー」が公開されている。カメラの前で現在76歳の彼女は自分の人生を振り返る。 ロンドン郊外のニースデン生まれ、本名レズリー・ホーンビー。「もし本名だったらトップモデルにはなれなかったでしょうね」と本人が語るほど、「ツイッギー」というニックネームは覚えやすくてチャーミング。しかも彼女にピッタリだった。 モデルになることを夢見た彼女は16歳の時、人づてに編集者を紹介してもらう。しかし「モデルには不向き。背も低いし、胸もないから」と一蹴されてしまう。 それでも彼女の顔立ちの良さを気に入った編集者は彼女を美容室へと連れて行った。7時間かけてヘアスタイルを完成させ、カメラマンが顔のアップを撮影。その写真が美容室に飾られると、偶然通りがかったファッション誌の編集者の目に留まった。「ツイッギー」 Ⓒ Copyright Soho Talent Limited 2024 All Rights Reserved.写真一覧 気難しいベテランモデルに辟易(へきえき)としていたその編集者は、ツイッギーの若く愛らしい顔に魅了され、すぐに連絡を取った。専属マネジャーがジャガーで送迎 そこからの快進撃はすさまじい。雑誌のモデルに抜擢(ばってき)されるやいなや、彼女の顔写真は「66年の顔」として新聞の1面を飾った。殺到するオファーをこなすために10歳年上のボーイフレンドが見守り役兼マネジャーとして撮影現場に付き添った。 他のモデルが自前で衣装や小道具を用意し、バスや電車で現場へ向かっていた時代に、ツイッギーには最初から専属マネジャーが付き、彼のジャガーで現場に向かい、優秀なスタイリストと写真家が彼女を迎え入れた。 巨匠ヘルムート・ニュートンをもとりこにし、「ミニの女王」「カーナビーストリートのシンボル」として、彼女は瞬く間に60年代のアイコンとなった。 17歳で渡米すると、ビートルズ並みの熱狂で迎えられた。多くの雑誌の表紙を飾り、四六時中テレビに出演。彼女を一目見ようと集まった群衆に囲まれ、ガードマンに抱えられてリムジンの窓から放り込まれるといった、まるでロックスターのような逸話も語られる。ロスでは有名俳優たちと交流し、ツイッギーは17歳でセレブになった。 名優ダスティン・ホフマンは当時の彼女をこう評している。「まるでトラック運転手のように豪快に笑うんだ。あの可愛い顔でね」無邪気なロリータ、ポップカルチャーの象徴 彼女の無垢(むく)な笑顔。そして大きな瞳が常識や固定観念に捉われないまっすぐな姿勢を表現していた。ありのままの自然体でいることが古い価値観への「アンチテーゼ」でもあった。 そんな彼女の姿が多くの人々を魅了し、自由で開放的な別世界へと連れ出したのである。気づけば彼女は年間で数十億円を稼ぎだす弱冠17歳のスーパーモデルになっていた。 ちなみに、当時のスウィンギング・ロンドンのファッションには二つの層があった。アニタ・パレンバーグを支持する層と明るく健康的なツイッギーの層だ。「ツイッギー」Ⓒ Copyright Soho Talent Limited 2024 All Rights Reserved.写真一覧 アニタはブライアン・ジョーンズやキース・リチャードを魅了したロックの女神。反逆的でミステリアス、ボヘミアンなロックスタイルで、アンダーグラウンドのコアなサブカルチャーを支えていた。 一方、七つ年下のツイッギーは無邪気なロリータだった。ツイッギーはポップカルチャーのシンボルとして、その明るさと若々しさで大衆をとりこにしたのだ。好奇心の赴くままに その後のツイッギーは22歳で女優へ転向し、演技経験もないまま映画界へ進出。ケン・ラッセル監督のミュージカル映画「ボーイフレンド」でデビューし、この作品でゴールデングローブ賞の新人女優賞と映画部門主演女優賞の2冠を獲得している。 さらに、自身の冠番組を持ち、シンガーとしても活躍。ブロードウェーのミュージカルに挑戦し、舞台女優としても成功を収めている。 好奇心の赴くまま、ツイッギーは一つのジャンルに飛び込み、そこで成長すると、また次の世界へと羽ばたいていった。映画では、10代のイキイキした姿や、一つ、また一つと鳥籠を飛び出して、新しい体験を経ながら成長していくひとりの女性の姿が描かれる。 この映画を通して私たちは、ツイッギーが決して一時的なスターではなく、旺盛な好奇心と明るい知性で新たなキャリアを切り開いていった、才能豊かな女性だったことを知る。日本の子どもの味の記憶にまで ツイッギーが初来日したのは67年、18歳の時のこと。日本でもビートルズのように熱烈的に歓迎され、日本女性の生き方に衝撃を与えた。ミニスカートは若い女性を中心にたちまち日本中に広まり、「社会現象」となった。来日したツイッギー。羽田空港で飛行機のタラップを降りた瞬間から押し寄せる報道陣のカメラのフラッシュに、ビックリした表情を見せた=1967年10月18日、毎日新聞出版写真部員撮影写真一覧 漫画のサザエさんもミニスカートをはき、2年後には時の佐藤栄作首相の寛子夫人が渡米する際に着用するまでになった。 当時のツイッギーは、日本の子どもたちにとっても刺激的で、味覚の記憶にまで深く刻み込まれている。映画を見終えると、親にねだったミニスカートと一緒に、ふいに森永製菓のCMの断片とサクサクとしたお菓子「チョコフレーク」の記憶がよみがえってきた。 ツイッギーが運んできたのはファッションだけではなく、世界を色づかせる虹の光のようなものだったのかもしれない。(北澤杏里)