「公害の原点」どんな病気か 一から知る水俣病 公式確認70年

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図解あり社会最新記事毎日新聞 2026/5/1 07:30(最終更新 5/1 07:30) 1880文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷水俣病公式確認から約4年たった1960年4月当時の新日本窒素肥料(後のチッソ)水俣工場 はじめは原因も分からず「奇病」と呼ばれた。 九州の西岸、熊本県水俣市で発生し「公害の原点」といわれる水俣病。原因企業チッソが流した排水で豊かな海は汚され、地域に暮らす人が次々と倒れ、命を奪われた。 健康被害に加え、差別や偏見に苦しめられた。いったいどんな病気なのか、なぜ今も解決していないのか。【回答・西貴晴】AdvertisementQ 異変が分かったのはいつ? A 今から70年前の1956年5月1日、「原因不明の脳症状を呈する患者が入院した」と水俣保健所に報告があった。水俣病を巡る経緯(1) この日が水俣病の「公式確認の日」と呼ばれる。当初は伝染病を疑われ、患者が隔離されることもあった。 公式確認の約3年後、熊本大は「魚介類を通じた神経系疾患で、毒物として水銀が注目される」と発表した。 しかし、アセトアルデヒドの製造過程で生成されたメチル水銀を含む工場排水を海に流していた化学メーカーの新日本窒素肥料(現チッソ、本社・東京)は、「実証されていない推論だ」などと反論した。1973年5月、水俣を訪れた三木武夫環境庁長官(中央左)は、胎児性水俣病患者の上村智子さん(中央)を抱き上げ、父の好男さんらから苦しみを聞いた 国や熊本県も排水停止や漁獲禁止など海の汚染を想定した対策を取らなかった。 国が工場排水が原因と認め、水俣病を公害と認定したのは68年。チッソがメチル水銀の排出につながる製造工程を止めたのはその4カ月前にすぎず、公式確認から12年間、排水を流し続け、被害の拡大を招いた。 これに先立つ65年には新潟県の阿賀野川流域でも工場排水に伴う新潟水俣病の発生が確認された。Q どんな病気なのか。 A 水俣病は、工場排水に含まれるメチル水銀が食物連鎖によって海中の魚や貝に蓄積し、それを知らずに食べた人の脳を中心にダメージを与える神経系疾患だ。 損傷を受けた脳の部位によって、手足の感覚がなくなったり、真っすぐ歩けなくなったりするほか、見える範囲が狭くなる視野狭さくや難聴などが表れる。遺伝や感染はしない。水俣病を巡る経緯(2) 汚染魚をいつ、どれくらい食べたかによって症状は異なる。 壁をかきむしって亡くなっていった劇症型患者の一方、外見では分かりにくい神経症状のため「にせ患者」などと偏見や差別を受けた患者も多くいた。 母親が口にした水銀を胎内で取り込み、生まれながらに水俣病となった胎児性患者もいる。Q なぜ解決していないのか。 A 水俣病の被害者がいったい何人いるのか、実は今も分かっていない。 症状はさまざまで、水俣病によるものと自分で分からなかったり、差別や偏見を恐れて名乗り出なかったりする例が多かった。水俣病を巡る補償や救済(熊本・鹿児島県) 全容解明に向けた調査も実施されないまま、時間が過ぎた。 補償や救済の動きも迷走した。 チッソと患者団体は73年、患者1人あたり1600万~1800万円の一時金などを支払う内容で補償協定を結んだ。一方、国の認定基準で患者と認められていない人たちは、裁判で救済を求めた。 国は95年と2009年の2度、政治主導で解決を図り、熊本、鹿児島両県で約4万人が一時金などを受け取った。一時金の対象でなくても医療費の自己負担分を給付された人もいた。 そうした救済を受けていない住民らの裁判は現在も続き、福岡、大阪の両高裁や東京地裁などで争う原告は1400人余りに上る。 環境省は、神経細胞の活動を計測する脳磁計と呼ばれる装置やMRI(磁気共鳴画像化装置)を使った水俣病の客観的な調査手法を開発し、26年度から本格的に実施する予定だ。だが、得られる成果は未知数だ。Q 教訓は生かされたのか。現在の熊本県水俣市。かつてチッソ水俣工場(中央、現名称はJNC水俣製造所)の排水が流れ込んだ水俣湾(左上)周辺で重症患者が多発、八代海一帯へ水銀汚染が広がった=2026年4月2日、本社ヘリから上入来尚撮影 A 「水銀による汚染から生ずる健康及び環境への深刻な影響を防止」。国連環境計画(UNEP)主導で13年、世界的な水銀管理を目指した条約が採択された。 前文には「水俣病の重要な教訓」の文言が入り、「水俣条約」と命名された。 水俣の海は穏やかさを取り戻した。だが、25年、大手の家庭教師運営会社(東京)が、動画教材で「水俣病が恐ろしいのは、遺伝してしまうこと」と誤って伝えていたことが分かった。 熊本県宇城市も、市内全世帯に配ったカレンダーで「水俣病などの感染症を正しく知っていますか」と誤った表記をしていた。 熊本、鹿児島両県の認定患者計2284人のうち、26年3月時点の生存者は202人で1割に満たない。 胎児性患者の親世代の多くは鬼籍に入り、高齢になった患者の生活をどう支えていくのかも正念場だ。 水俣病は人の命や環境を軽んじ、経済成長を優先した戦後日本の過ちだ。 関係し合う人の暮らしと環境、経済活動をどのように成り立たせていくのか、問いは形を変えて続く。 水俣湾沿いの犠牲者慰霊碑には「二度とこの悲劇は繰り返しません」と誓いが刻まれている。【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>