インタビュー 飯山太郎毎日新聞 2026/5/1 16:00(最終更新 5/1 16:00) 有料記事 3767文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ファンにはおなじみの「逸材ポーズ」を取る新日本プロレスの棚橋弘至社長=東京都港区で2026年4月17日、小林努撮影 ボクシングの頂上決戦が5月2日に東京ドームである。世界スーパーバンタム級主要4団体統一王者の井上尚弥選手(大橋)が中谷潤人選手(M・T)の挑戦を受けるビッグマッチだ。1988年に開業した東京ドームでのボクシングの興行は4度目という、日本の格闘技界にとって歴史的な一戦。毎年正月に東京ドームで興行を主催している新日本プロレスの棚橋弘至社長(49)に、なぜ東京ドームは特別なのか聞いた。【聞き手・飯山太郎】青春18きっぷで上京した「10・9」 ――棚橋さんは今年1月4日の東京ドーム大会、いわゆる「イッテンヨン」で現役を引退しました。新日本プロレスは92年から1月4日に東京ドームで興行を開催していますが、東京ドームはどんな舞台だったでしょうか。 ◆東京ドームといって、最初に覚えているのは95年の「10・9」(10月9日)ですね。新日本プロレスとUWFインターナショナル(Uインター)の対抗戦です。メインは新日本の武藤敬司さんと、Uインターの高田延彦さんとのIWGPヘビー級タイトルマッチで、武藤さんが勝ってベルトを防衛しました。 僕は、高校時代は野球部で、変化球主体のサイドスローの投手でしたが、当時は立命館大の1年生でプロレス同好会に入っていました。 学生でしたので、(JRの普通・快速列車を自由に乗り降りできる)青春18きっぷが使える列車に乗り、東京には朝5時ぐらいに着いて、東京ドームで観戦しました。観衆は主催者発表で6万7000人(超満員札止め)。会場は本当にパンパンで、異常な熱気でしたね。 ――その時、「東京ドームのリングに上がりたい」と思いましたか。 ◆プロレスラーになりたいとは思っていました。ただ、まだ体重が80キロを超えたぐらいで、本気でレスラーになりたいと思い始めたのは、体が大きくなり出した大学2年生ぐらいですかね。 ――プロデビューした99年、新日本は1、4、10月と年に3回も東京ドーム大会を開いていました。選手として初めて東京ドームのリングに上がったのはいつですか。 ◆2001年10月のジャイアント・シルバ、ジャイアント・シン両選手との2対4のハンディキャップマッチですね。シングルマッチでは03年5月の天山広吉さんとの試合でした。 僕はシングルが大好きです。東京ドームにシングルで出られた時は、やはりうれしかったです。「環状線外」に「届ける」ドーム ――格闘技団体として東京ドームで大会を行うというのは、どういう意義があるのでしょう。…この記事は有料記事です。残り2732文字(全文3767文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>