毎日新聞 2025/8/31 06:00(最終更新 8/31 06:00) 有料記事 2994文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷北方領土からの引き揚げ船の乗船名簿に載る「中村乙松」の名を指さすひ孫の佐藤みゆきさん(左)と孫の中村勝さん=北海道根室市で2025年7月26日午後5時11分、本間浩昭撮影 「身内にナカムラオツマツさんという方はいらっしゃいませんか。樺太・真岡(現ロシア・ホルムスク)で1947年11月15日に亡くなった方なのですが」 札幌市で今年5月に開かれた、北方領土から北海道に引き揚げた船の乗船名簿の閲覧会。名簿を国立公文書館で見つけた落語家の三遊亭金八さん(54)が知人で歯舞群島・志発島の元島民2世、佐藤みゆきさん(61)に声をかけた。 「曽祖父かもしれない」。佐藤さんは思った。 曽祖父の中村乙松(おとまつ)さんは「引き揚げ途中で亡くなった」と聞いていたが、情報は不確かなもので、死地は知らなかった。 名簿に記された中村家の戸主の名前は曽祖母のキチさんになっている。名前がない曽祖父は、家族と共に引き揚げられなかったという証拠だった。 札幌の自宅に戻った佐藤さんは、アルバムを探した。北海道北見市にある一家の墓に曽祖父の名が刻まれていたような記憶があった。 墓の写真を確認すると、墓石には「昭和二十二年十一月十五日 中村乙松 六十八才」とあり、閲覧会の会場で聞いた死亡日と一致した。曽祖父はソ連軍に志発島から強制退去させられ、移動途中の樺太で亡くなっていたと確定した。曽祖父の死の背景 記者は、佐藤さんが叔父4人と一緒に7月の北方領土の洋上慰霊に参加すると聞き、北海道根室市の千島会館に集まってもらった。 乙松さんに可愛がられた叔父の一人、勝さん(87)=札幌市=は祖母から乙松さんの死について聞かされていたと佐藤さんに明かした。 樺太では、日本の引き揚げ船がいつ到着するかと、島民が交代で海を見ていた。「祖父が亡くなった日の当番は別の人だったが、『代わってほしい』と頼まれて交代してあげた」という。外で夜通し見張りをして、風邪をこじらせた上での死だった。キチさんは夫の遺髪を着物の胸元に忍ばせて持ち帰り、墓に納めた。 歴史に「もし」はないが、「ソ連に島が占領されていなければ、樺太経由の引き揚げでなければ、命を落とすこともなかったろうに」。勝さんの言葉に兄弟はうなずいた。 千島歯舞諸島居住者連盟の相談員を務める佐藤さんは、北方領土の語り部事業でこう語っている。「異国となった地に置き去りにされた無念さ。このようなことはたくさんあったのではないでしょうか」樺太での死亡者名簿 引き揚げ時に命を落としたのは、乗船名簿で「船内死亡」と記載されていた死者21人にとどまらず、樺太の収容所でも多くの日本人が亡くなったと言われている。だが、実態はほとんど分かっていない。 「何か手がかりはないか……」。金八さんは厚生労働省のホームページに樺太での死亡者名簿が載っていることに気付いた。 「第379中継収容所死亡者名簿」というページを見つけた。この収容所は引き揚げ者が収容された旧真岡高等女学校のことだ。カタカナ表記の日本名や死亡年月日が並んでいた。ロシア政府から…この記事は有料記事です。残り1804文字(全文2994文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>