毎日新聞 2025/11/4 08:45(最終更新 11/4 08:45) 781文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷現場海域でじっと手を合わせて冥福を祈る遺族ら=愛媛県今治市の伯方島沖で2025年11月3日午後0時2分、松倉展人撮影 「古里を目前に冷たい海中へ。どれほど無念だったか」。終戦から3カ月後の1945年11月6日、復員中の愛媛、香川県などの元軍人ら400人以上が犠牲になった民間連絡船「第10東予丸」沈没事故の慰霊祭が3日、遭難現場近くの愛媛県今治市・伯方島であった。悲劇から80年。犠牲者の子や孫、住民有志らは現場海域で花を手向け、長い間手を合わせ続けた。初めての参列者も「第10東予丸」は愛媛県今治市・伯方島の近くで沈没した 同県伊予市の武智英明さん(65)はこの日、初めて慰霊祭に参列した。20年ほど前に詳しい家系図を作成した際、伯父勤(すすむ)さん(享年20)が東予丸事故の犠牲者と分かり、近年は供養のために現場近くの海岸に立つ地蔵を時折訪れては草刈りをして人が通れるようにしてきた。勤さんは旧満州(中国東北部)の開拓団員を経て44年に入営し、終戦を現在の韓国・木浦(モッポ)で迎えた。もう一人の伯父章さんは終戦間際になってビルマ(現ミャンマー)で27歳で戦死。祖母の三十三回忌と合わせ、9日に伯父らの法事を予定している。現場海域で手を合わせた英明さんは「無念を思うと本当にいたたまれない。これは忘れてはいかんことだと思います」と語気を強めた。Advertisement 船は現在の韓国・済州島方面からの復員者を中心に、定員の3倍近い約600人を乗せて広島・尾道港を出港した。今治港に向かう途中の伯方島沖で突風を受けて転覆・沈没。故郷を目の前にして400人以上が非業の最期を遂げ、その痛ましさは本四架橋運動のきっかけの一つになった。「ありました」。禅興寺にある犠牲者名簿に伯父勤さんの名を見つけ、撮影する武智英明さん=愛媛県今治市の伯方島で2025年11月3日午前10時15分、松倉展人撮影 法要は伯方島にある禅興寺で、六十六回忌に当たる2010年にあり、14年以降は毎年営まれてきた。当時の住職が犠牲者を浜辺で弔った縁で、寺には加筆・訂正を重ねた343人分の犠牲者名簿が残る。慰霊祭は今後、2~3年おきとなるが、阿部信宏住職(51)は「これからも風化を防ぎ、供養の気持ちを持ち続けたい」と話す。【松倉展人】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>