アワビの煮貝=水産加工会社「かいや」提供写真一覧 山梨県の郷土料理として親しまれるアワビの煮貝。海のない山梨でなぜ名物となったのか。 江戸時代、駿河湾から数日かけて運ばれたアワビに起きたある奇跡によって煮貝が生まれたという説。さらにさかのぼると、戦国時代の武田家とのつながりも浮かび上がってくる。 アワビの煮貝は、アワビをしょうゆベースの煮汁で煮浸しにした保存食で、高級食材として贈答品などに重宝されている。Advertisement 山梨県の特産品として、次世代に継承する代表的郷土食「特選やまなしの食」に選ばれている。重なった二つの偶然 その誕生には諸説ある。煮貝の原料のアワビ=甲府市で2026年4月6日午前9時10分、杉本修作撮影写真一覧 甲府市で海産物を販売する創業400年余りの老舗「みな与」によると、江戸時代末期、6代目店主の飯島藤右衛門が、干物などの買い付けのため駿河湾を訪れた際、生のアワビのうまさに出合った。 「アワビを甲州の人々に食べさせたい」。藤右衛門はしょうゆで満たした木のたるにアワビを入れて馬で運んだ。 傾斜の激しい峠の道のり約80キロを3日間かけて進むなかで、たるが馬の体温で温められ、中のあわびを加熱。さらにしょうゆがほどよく染みて煮貝が完成したと伝えられている。創業400年の老舗「みな与」の飯島尚社長=甲府市で2026年4月3日午前11時6分、杉本修作撮影写真一覧 「みな与」の12代目、飯島尚社長は「これ以上遠くまで運べば、味が染みすぎてしょっぱかったかもしれない。ほどよい距離と厳しいアップダウンの道中という偶然が重なって生まれた奇跡」と話す。 煮貝は、海産物店が軒を連ねた甲府市の「魚町」中心に広まり、保存食として市民に親しまれてきた。 1960~70年代になると、食品会社による大量生産が進み、冠婚葬祭の贈答品などとして、全国でも知られるように。一方、「魚町」の衰退とともに小規模業者は減り、今は「みな与」以外、煮貝を扱う店はほとんどないという。 飯島さんは、煮貝を使ったカルパッチョなどの洋食レシピをホームページで公開し、若者を意識したPRを進めている。「20、30代にも煮貝の魅力を知ってもらいたい」と意欲を示す。 煮貝を元にした新しい商品開発も進む。アワビの殻を外して煮貝を作る職人ら=甲府市の水産加工会社「かいや」で2026年4月6日午前9時8分、杉本修作撮影写真一覧 同市の水産加工会社「かいや」では、「あわび入り釜めしの素(もと)」を開発し、山梨のお土産ナンバーワンを決める「やまなしギフトコンテスト2025」でグランプリを獲得した。 同社が販売する煮貝は、数千円から3万円で、高野由章社長は「誰でも気軽に買える価格ではない」と話す。 身近な食材として親しんでもらおうと、アワビを使った加工食品の商品開発に力を入れ、全国のスーパーなどでの販売を始めた。 「アワビを食べたことのない人も多い。まずは接点を持ってもらい、うまさを知ってもらいたい」と高野さんは意気込む。戦国時代から存在? 煮貝のルーツを探ると、武田信玄で知られる戦国時代の武田家とのつながりも見えてくる。 江戸時代に武田家について書かれた「甲陽軍鑑」では戦国時代、儀式の際の食べ物としてアワビが紹介されている。 それを裏付けるように、97年、信玄の叔父にあたる武田信友の館跡(現山梨県甲州市)からアワビの殻が発掘された。 しゃもじ、おわん、箸なども一緒に出土しており、武田家がアワビを食材として用いていたことがうかがえる。 何らかの保存食に加工されたとみられるが、戦国時代にはまだ、煮貝に欠かせないしょうゆが流通していない。 ただ、武田家の食に詳しい郷土料理研究家の金子美佐子さんによると、かつて武田家の館があった武田神社(甲府市)の敷地で戦国時代、みそづくりが行われていたことが発掘調査で分かったという。 みその製造過程で、濃縮したしょうゆに近い調味料「みそだまり」が作られる。 金子さんは「当時、みそがあったということは、みそだまりもあった可能性はある」とし、「本当のことは誰も分からないが、煮貝があったことも否定できない」と語った。【杉本修作】