複雑な日台関係史を知る 映画「いつの日にか帰らん」上映へ

Wait 5 sec.

毎日新聞 2026/4/11 12:15(最終更新 4/11 12:15) 1269文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷台湾ドキュメンタリー映画「いつの日にか帰らん」で、戦時中、台湾出身者の出征をイメージした場面=楊孟哲監督提供写真一覧 第二次世界大戦後にシベリアに抑留された台湾出身元日本兵の人生に迫った台湾ドキュメンタリー映画「いつの日にか帰らん」(楊孟哲監督)が20日、シアターセブン(大阪市淀川区)で上映される。日台のはざまで翻弄(ほんろう)された元日本兵の激動の人生を通して、複雑な日台関係史を知ることができる。 元日本兵の頼興煬(らいしんよう)さんは1925年、日本統治下にあった台湾の新竹に生まれた。44年に出征し、中国大陸に渡った。Advertisement 戦時中、台湾出身者約21万人が軍人・軍属として動員され、東南アジアなどに送られた。このうち約3万人が犠牲になった。 頼さんは45年8月、朝鮮半島の元山で敗戦となった後、ソ連の捕虜としてシベリアに送られた。スーチャン(現・パルチザンスク)収容所で3年余、鉄道建設や炭鉱採掘など強制労働を強いられた。台湾ドキュメンタリー映画「いつの日にか帰らん」では、台湾出身元日本兵の頼興煬さん(左)と楊孟哲監督(中央)がシベリアを訪れた=楊監督提供写真一覧 ソ連のスターリンは45年8月23日、日本人50万人を自国領などに抑留する秘密指令を出した。ソ連は旧満州(現中国東北部)などにいた日本人約60万人を抑留。強制労働に寒さや飢えで約6万人が亡くなったとされる。この中に台湾出身者も含まれていたが、その人数は不明で、実態調査は行われていない。 戦後の台湾は国民党政権が統治した。47年、国民党が民衆を武力弾圧した「2・28事件」で、多くの民衆が犠牲になり、弾圧が続いていた。頼さんが帰郷したのはそのころだ。台湾ドキュメンタリー映画「いつの日にか帰らん」。シベリアに抑留された台湾出身元日本兵、頼興煬さんの人生に迫った=楊孟哲監督提供写真一覧 48年、ソ連から京都・舞鶴港などを経て、台湾に戻ったが、当局に一時、拘束された。国民党政権は、かつて中国大陸で戦った日本の元兵士を「敵に加担した者」とみなした。国民党は中国大陸では中国共産党との内戦を続けており、共産主義のソ連から帰還した元抑留者を警戒した。 一方、頼さんは日本兵として出征したにもかかわらず、日本政府からは、戦後に日本国籍を喪失したとして補償の対象外とされた。 楊監督は台北教育大教授で、戦時下の台湾人が置かれた状況などを長年研究してきた。2010年にロシアで調査した際、日系人2世から「シベリア抑留者の中に台湾人がいたと父から聞いたことがある」との話を耳にして驚いた。抑留者に台湾出身者がいたことは、台湾ではほぼ知られていなかったからだ。楊孟哲監督=本人提供写真一覧 そこで大学の教え子と共に台湾出身抑留者について調べ始めた。探し出した元抑留者9人の記録から頼さんにたどり着き、聞き取りを重ねた。18年には頼さんとシベリアを訪れ、収容所跡などを巡った。頼さんは20年、95歳で逝去した。 楊監督は「作品で記録したのは、帝国と戦後のはざまに置かれた人生。それは個人の物語にとどまらず、歴史の証言でもある。巨大な時代の力の下で、個人がいかに形成され、駆り立てられ、置き去りにされていったのかを証言するものだ」と語る。本作は55分で、22年にロシアを皮切りに公開された。 今回は「東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA」(18~24日)としてシアターセブンで上映される。本作は20日のみ。詳細は映画祭サイト(https://tdff-neoneo.com/osaka/)。【鈴木玲子】あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>