「亮平さん、早く来て」津波にのまれた街、信じて待った元部下の到着

Wait 5 sec.

現場から2026年4月12日 11時01分有料記事南宏美スーパーの屋上に取り残された人を救出するヘリコプター=2011年3月12日午前7時34分、岩手県陸前高田市、本社機から【連載】陸前高田のはまかだ~東日本大震災15年~〈2〉【連載】陸前高田のはまかだ~東日本大震災15年~岩手県陸前高田市は、地元の言葉から生まれた「はまかだ」を合言葉に、語り合いつながることで、心と体の健康を目指しています。東日本大震災をきっかけに、この活動を進めてきた人たちの思いを紹介します。第2回は「はまかだ」を象徴する2人の男性の物語の前編です。 「亮平さん、早く来て」 2011年3月、岩手県陸前高田市。東日本大震災後の大混乱のなか、市の健康推進課長だった菅野(かんの)道弘さん(71)は、何度そう思っただろうか。 地震発生後、同僚や住民と3階(一部4階)建て市庁舎の屋上に避難。辺り一帯が津波にのまれる様子を目の当たりにした。多くの住民や市職員が犠牲になり、生まれ育った街が破壊された。翌日、がれきと泥の間を歩いて高台の学校給食センターに向かった。 市の災害対策本部が置かれたセンターで寝泊まりしながら災害対応にあたった。早朝の災害対策本部会議が終わると、地域医療の要である県立高田病院の臨時の診療拠点や、保健担当の職員が詰めている市内最大の避難所を回って状況を確認した。津波で押し寄せられた大量のがれきが道路をふさぎ、重機で取り除く作業が続いていた=2011年3月15日、岩手県陸前高田市、日吉健吾撮影次から次へと問題が 行方不明の部下らを捜すこともできず 透析患者を新たな医療機関までどうやって搬送するか。在宅酸素療法に必要なボンベが残り1本になった。持病の薬が足りなくなった住民が不安がっている。医療支援チームの給油をどうするか――。 次々に飛び込んでくる問題の一つ一つに精いっぱい対応したが、追いつかなかった。安否がわかっていない部下や同僚たちを捜すこともできなかった。センターに戻るのはたいてい午後11時や午前0時ごろ。冷たく、硬いコンクリートの床の上に新聞紙を敷いて横になった。 こんなとき、亮平さんがいてくれたら。岩手県陸前高田市の健康推進課長だった菅野道弘さん=2012年2月、佐々木亮平さん提供 「亮平さん」とは、つい1年…この記事を書いた人南宏美くらし科学医療部専門・関心分野医療・健康、地域医療関連トピック・ジャンルこんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ4月12日 (日)米イラン協議 パキスタン厳戒アルテミス2 宇宙船が帰還目覚めるクマ 春から注意4月11日 (土)台湾の野党トップ 習氏と会談停戦後に700人以上死亡郵便受けに「逮捕状」詐欺4月10日 (金)本屋大賞に朝井リョウさん女性に参政権が認められ80年今国会で初の衆院憲法審査会4月9日 (木)米国とイラン 攻撃停止に合意日本とイラン首脳が電話協議「小1の壁」、子どもにもトップニューストップページへ米イラン直接協議、12日も継続 11日は日付またぎ約15時間交渉9:24プーチン氏を突き動かす歴史認識と愛国主義 前駐ロシア大使に聞く7:00「稼げる夢がある」年収1千万円のとび職 「AIに足場は組めない」11:00「性的画像が…」12歳から涙の電話 即動く台湾・韓国、一方日本は6:00東大現役合格は絶対、息子に入れ込んだ母 元裁判官の瀬木比呂志さん7:00悪口が飛び交う職場を改善したい 姜尚中さん「『人の世』で努力を」10:00