毎日新聞 2026/4/12 11:00(最終更新 4/12 11:00) 有料記事 2872文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷(手前から時計回りに)アマゴの魚田、大和茶を使った茶がゆ、大和肉鶏の鶏ざんまい3種、大和茶の葛餅、もも塩焼き 今回からちょっと趣向を変えて、地質・地形と先人の営みの関わりを、神仏融合に焦点を当てて解きほぐしてみることにします。 まずは、なぜヤマト王権は奈良盆地で生まれたか? もちろん、辻調理師専門学校の先生の料理をいただきながら考えます。「美食地質学」第36講となります。これまでのシリーズはこちらから読むことができます。弥生後期 多くの集落群 マグマ学者の巽好幸さんは昨年末、刊行した「神と仏の人文地質学」(光文社新書)で、「人文地質学」を提唱している。 「ある地域の文化や人々の精神性の成立を地質学の視点から考える」のが人文地質学だ。 話は、国家祭祀(さいし)を始めたヤマト王権から始まる(前回、「奈良盆地と大仏」と告知しましたが、大仏はもう少し後に取り上げることにします)。巽「そもそも、なんで奈良盆地だったか? 王権が成立する前の弥生時代後期、奈良盆地は日本で一番、人口密度が高かったと考えられます」 図①を指す。 巽さんが、奈良県立橿原考古学研究所企画学芸部長を務めた故・坂靖さんの著作「ヤマト王権の古代学」や論文を参考に作成した。 3世紀初頭、奈良盆地には、おおやまと(大和)▽わに(和珥)▽さき(佐紀)――などの集落群があったという。巽「卑弥呼の時代ですが、坂さんは、ここには卑弥呼はいないと言ってます。中国と交渉していたような影響力を持つ存在はなかった…この記事は有料記事です。残り2291文字(全文2872文字)あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>