慰安婦歴史伝え続けて30年 「あらがう教師」と呼ばれて

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ストーリー 菅沼舞毎日新聞 2026/4/12 08:00(最終更新 4/12 08:00) 有料記事 2014文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷講演会で話す平井美津子さん=大阪市天王寺区で2026年2月14日、加古信志撮影 自分を呼ぶ子どもたちの大きな声が、体育館にこだました。「みつこー!」「みっちゃーん」。3月下旬、大阪府北部の公立中学校で開かれた1年生の球技大会。社会科教諭の平井美津子さん(65)は、元気に動き回る子どもたちの声と姿を脳裏に焼き付けていた。 ドッジボールのさなか、こちらに手を振っていた生徒が、隙(すき)を狙われて球を当てられた。「あほやなあ」。苦笑いしつつ、声援を送った。大会後の記念撮影では中心に納まった。 「先生、来年は担任やって」と請われたが、思いに応えることはできなかった。定年後の再任用の期間が終わり、この春で43年間立ち続けた中学の教壇を降りたからだ。 約30年にわたり授業で戦時中の「慰安婦」問題を取り上げてきた。「うそつきばばあ」「偏向教師は処分しろ」。授業内容を知った排外主義的な団体から標的にされ、脅迫状も届いた。教育委員会に呼び出され、上司から授業をやめるよう言われたこともあった。それでも負けずに自分の信念を貫いてきた。その原動力はなにか。父の反対押し切り教員に 振り返れば、ずっと何かにあらがってきた人生だった。大阪府出身。「四大(よんだい)(4年制大学)行ったら女は生意気になる」と言う父の反対を押し切って、立命館大(京都市)に進学。1983年、大阪府の公立中学の教員となった。 当初から授業で第二次世界大戦を教える時には、原爆被害者や中国残留日本人孤児の証言を取り上げるようにしていた。自身が中学の修学旅行で行った広島で悲惨な被害実態を知り平和問題に関心を持った経験があったからだ。「事実に基づいた歴史を伝えなければ」。若い教師らしい、そんな素朴な思いから始まった。 最初の転機は91年夏。韓国人の金学順(キムハクスン)さん(故人)が、中国の戦地で日本軍の慰安婦だったことを実名で名乗り出た。 平井さんが30歳の時だ。ふと、子どもの頃の記憶がよみがえった。戦争に行った伯父が、親戚の集まりで「戦場には、ええ姉ちゃんがいたんや」とうれしそうに話していた。「ええ姉ちゃんって、どんなん?」。そう聞いても、伯父ははっきりとは答えなかった。そばにいた母や伯母は、決まりが悪そうな表情を浮かべていた。 大学生の時、千田夏光(かこう)の著書で慰安婦のことを知り、「…この記事は有料記事です。残り1071文字(全文2014文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>