大阪・関西万博のレガシーは「記録」 保存・活用に向けた議論を

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毎日新聞 2026/4/9 17:00(最終更新 4/9 17:00) 有料記事 1961文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷大阪・関西万博の最終日、「フラッグパレード」でフィナーレを迎えるミャクミャクら=大阪市此花区で2025年10月13日午後4時52分、長澤凜太郎撮影 184日間の会期中に国内外から2500万人超が訪れた、2025年大阪・関西万博の閉幕から半年となります。 大阪府や大阪市は、人工島・夢洲(ゆめしま)の会場跡地に、大屋根「リング」の一部が展望台として残る記念公園の整備を計画するなど、「レガシー(遺産)」作りを進めています。 こうした万博の「記憶」をつなぐ取り組みも良いですが、後世に引き継ぐべきもっと重要なレガシーがあるのではないでしょうか。 それは「記録」です。 しかし残念ながら、記録の保存・活用を巡る議論は進んでいません。今も保存される70年万博文書類 万博を運営した日本国際博覧会協会(万博協会)は、公益社団法人で行政機関ではないため、情報公開法の適用外だ。 理事会の会議資料などの一部はホームページで公表しているものの、保有する文書の公開義務はない。残務終了後の28年3月に解散する協会の保有文書の扱いは、まだ決まっていない。 一方、1970年大阪万博については、当時の万博協会が作成・収集した文書など約4万6000点が、大阪府吹田市の万博記念公園内の資料室に今も保存されている。当時の万博協会が解散した後に府へ移管され、25年には府登録文化財に指定された。 公式記録や関係機関などが残した報告書以外の記録も含まれていたことから、私は25年万博の取材をするに当たり、資料室を訪ねて一部をひもといた。教訓や示唆に富む当時の記録 それらを通して気付かされたのは、半世紀前の万博もまた、今回と共通する課題に直面していたことだ。残された記録は、後世に役立つ教訓や示唆に富んでいた。 25年万博は海外パビリオンの建設の遅れが注目された。開幕3カ月前に「完成」していたのは、47カ国中3カ国。5カ国が未完成のまま開幕を迎えた。 70年万博も、記録を読むと、開幕1年前で「67~68あるうちの18しかまだ着工していない」「(建設)業界から、4月か5月ごろまでに発注がない限り引き受けかねる(と言われた)」とある。 70年当時は国内初だった大規模冷房プラントの建設も、苦労の連続だったようだ。 別の記録には「(開幕1カ月前の)2月中旬の時点で、わずか5~10分間の運転で停止する状態」「延長3万メートルの送還水パイプは無数に損傷」していたとある。 「正に痛烈そのもの」「絶体絶命」など執筆者の感想もリアルで事態の急迫ぶりがよみがえる。 25年万博は、8月13日夜には、唯一市街地と直接つながる地下鉄で電気系統のトラブルが発生。全面運転再開まで約8時間を要し、約1・1万人が会場内で一夜を明かしたことが大きな話題になった。 同様のトラブルは、実は70年万博でも起きていた。9月5日、輸送能力を超える来場者が訪れ、約4200人が帰宅できず会場で野宿した。地面に横たわって朝を待つ人々の姿を伝える当時の写真は、25年に夢洲で起きた光景をほうふつとさせる。「日本だけでなく世界のものとして残る」 当時の協会は、なぜこれほど膨大な記録を残したのか。背景には、…この記事は有料記事です。残り714文字(全文1961文字)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>