伊達公子×プロフェッショナル動画あり 長野宏美毎日新聞 2026/4/8 06:00(最終更新 4/8 06:00) 有料記事 2745文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷宇津木妙子さん(左)と伊達公子さん=東京都千代田区で2026年3月17日、内藤絵美撮影 ソフトボール日本代表を長年率い、日本を世界の頂点へと導いてきた宇津木妙子さん(73)。強いだけではなく、選手一人一人への深い愛情をもって「人を育てる」指導者としても知られています。その原点はどこにあるのか。小さな頃の遊び、中学時代の恩師との出会い、そして社会人での葛藤――。女子テニス元世界4位の伊達公子さん(55)との対談から、その人生哲学が浮かび上がります。後編 シドニー五輪の決勝前夜、岡本綾子さんに電話 ソフト宇津木監督原点は遊び伊達 宇津木さんがソフトボールを始めたのは中学1年からですよね。宇津木 そう、中学1年です。小学生の頃は神社で三角ベースをやったり、冬になると自分たちで板を作ってスキーやスケートをしたり、近所の男の子を引き連れて川を綱で渡ったりしていたので、遊びの中で自然と体の使い方を学んだと思います。伊達 小さい頃から運動神経がいいという自覚はありましたか?宇津木 ありましたね。でも、私がこんなにもソフトボールに夢中になった理由は、母の存在が大きいです。私は5人きょうだいの末っ子でした。小学1年の授業参観で母が先生から「もう少し勉強してほしい」と言われ、帰宅後に母から「お兄ちゃんやお姉ちゃんはそんなこと言われたことがない。恥ずかしい」と言われました。子どもながらにショックで、母に認めてもらいたい気持ちが強くなりました。 中学では部活があるので、県大会で優勝すれば母に認めてもらえるかもしれないと思って、バレーボールやテニスなどいろいろ見て回りました。ここで、ソフトボールの顧問の先生との出会いが人生を変えました。先生が言ったのは、「同じ親から生まれたきょうだいでも、みんな違うぞ」という言葉。そして「お前の長所は何だ?」と聞かれ、思いつくいいところを全部言ったら、「じゃあその長所を生かして県大会優勝を目指そう」と言ってくれました。指導者になってからも、「その人のいいところを伸ばす」という考え方はずっと私の軸になっています。伊達 高校卒業後はユニチカ垂井に入社されました。宇津木 社会人になると、すぐにはレギュラーで使ってもらえなかったので悔しくて。だから、元気さだけは誰にも負けないつもりで自分をアピールしていました。伊達 指導者になろうと早くから意識していたのですか?宇津木 監督が年配で、いろいろ任せてくれたんです。私たちの時代は入社して5、6年で結婚して仕事を辞める人が多かった。私も「そろそろやめようかな」と思うと、先輩の誰かが辞めてポジションが空いて……そんな中でいろんなポジションをやりました。 そして28歳のとき、女性で初めてジュニア世界選手権のコーチに選ばれました。1981年、カナダ・エドモントンでの大会で優勝し、日本の緻密なソフトボールが…この記事は有料記事です。残り1596文字(全文2745文字)【次の記事】シドニー五輪の決勝前夜、岡本綾子さんに電話 ソフト宇津木監督【前の記事】サッカー・福西崇史さんが語る監督像 「いいとこ取り」の指導哲学関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>