映画の推し事毎日新聞 2025/10/5 07:00(最終更新 10/5 07:00) 2791文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「沈黙の艦隊 北極海大海戦」Ⓒ2025 Amazon Content Services LLC OR ITS AFFILIATES. All Rights Reserved.Ⓒかわぐちかいじ/講談社 ロシアがウクライナに侵攻したのが2022年の2月24日。「沈黙の艦隊」の前作が23年の9月29日に封切られ、その直後、同年10月7日にパレスチナのガザ地区を支配するイスラム主義組織のハマスが奇襲しイスラエルとの間でむごたらしい戦争が始まった。25年1月20日に米トランプ第2次政権が発足。「自国ファースト」を掲げて民衆をあおり社会の分断を意に介さず、世界を「関税」「非科学政策」などで大混乱させ続けている。そうして25年9月26日、本作「沈黙の艦隊 北極海大海戦」が封切られたのだった。 改めてこうして時系列に並べてみると、20世紀に起きたふたつの世界大戦のあと各国のリーダーたちの懸命の努力により構築されてきた国連中心の「世界秩序」が、あっけなく崩壊していく過程の中で、この作品が製作されていることがわかる。もちろん偶然ではあるのだけれど。Advertisement「沈黙の艦隊 北極海大海戦」Ⓒ2025 Amazon Content Services LLC OR ITS AFFILIATES. All Rights Reserved.Ⓒかわぐちかいじ/講談社国連総会出席のため北極海へ 日米で極秘裏に開発された、日本初の原子力潜水艦は米第7艦隊の配下に置かれるはずが、「海自始まって以来の天才」といわれる海江田四郎(大沢たかお)の卓越した操鑑術と統率力によって離脱。そうして海江田は自らを「元首」とし、「独立国家やまと」を宣言した。これに対しニコラス・ベネット米大統領は海江田を「テロリスト」と呼び、超大国の威信をかけ、総力を挙げ「やまと」を東京湾で撃沈しようとする――。 そこまでが前編で、今回は副題にもあるとおり、米艦隊の総攻撃を生き延びた「やまと」の海江田が、米ニューヨークの国連総会に出席するため通過しようとする北極海が舞台である。ベネット大統領はそこで、「やまと」よりはるかに高性能という新型原潜を投入。息もつけない「サブマリン・バトルアクション」が繰り広げられるのだった。 一連のストーリーを起動させるために「人間ドラマ」を盛り込まねばならなかった前作と比べ、今作は艦長と乗員、政治家などさまざまに入り組んだ人間関係から生じるドラマを、可能な限りそぎ落とした映像重視の作品になっている。 あまりにも手に汗握る戦闘シーンが多いため、今回のストーリーのもうひとつの柱である政治の流れはかすんでしまったように、私には見えた。「原潜保有」「非核三原則」「日米同盟」「戦死」……。どれを取っても内閣の一つや二つが吹っ飛ぶようなテーマであるのに、作中、竹上登志雄首相(笹野高史)は唐突に「『やまと』との同盟の是非」を争点に解散総選挙に打って出る。そして政治家たちは現実世界と同様、党利党略に明け暮れる。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」Ⓒ2025 Amazon Content Services LLC OR ITS AFFILIATES. All Rights Reserved.Ⓒかわぐちかいじ/講談社島国の政治に聞こえた演歌 美しいオーロラの下、北極海海中の極限ともいえる状況で、日米の最新鋭潜水艦同士が魚雷を撃ち合う。その命を懸けた戦いの場面で流れるのは、海江田が好んでいるとされるモーツァルトである。一方、極東の島国では政治の場面には政治スローガンの騒音はあるが音楽はない。いや、場末の歓楽街で流される演歌が聞こえてきたように感じた。「オレとお前」「あんたと私」の小さな狭い世界しかない。あれはたぶん、私の錯覚であろう。 海江田は「世界規模の超国家軍隊の創設で世界平和を実現する」と宣言した。それは「平和」というものは核を頂点に据えた「軍事」によって成り立つという意味だ。逆に言えば、軍事力がなければ平和(=秩序)は成り立たない。この考えは米国の政治リーダーたちは当然持っている。前作でもベネット大統領が17世紀の英哲学者・ホッブズの「リバイアサン」を持ち出して同様のことを部下に説いた場面があった。力こそ正義だ、軍事によって平和が訪れる、と。 海江田とベネットのこの訴えを、日本人はどう聞くのだろう。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」Ⓒ2025 Amazon Content Services LLC OR ITS AFFILIATES. All Rights Reserved.Ⓒかわぐちかいじ/講談社戦闘止めねばひざを撃つ このテーマを考えるとき、元海上自衛隊幹部、伊藤祐靖氏のことを思い出す。1999年の能登半島沖不審船事件の反省から創設された、自衛隊初の特殊部隊である特別警備隊。その創設を主導した同隊の初代先任小隊長である。 不審船事件で海自イージス艦の乗員は、防弾チョッキも射撃の訓練もしないまま、北朝鮮の特殊工作船に乗り込もうとした。そうせざるをえなかった。自衛隊部隊が最も「死」に近づいた事件だった。その取材で彼と知り合い、特攻作戦の意義、国家とは、戦死の持つ意味とは――さまざまなことを語り合った。いまでも忘れられないのが、彼が軍の本質について語った言葉だ。 あれはイスラエルがガザのハマスに激しい攻撃を開始し、その激烈さに世界が震撼(しんかん)していた時期だったように記憶する。久しぶりに東京都内のホテルの喫茶コーナーで会った。そのとき、イスラエルの戦争をどうしたら止められるだろうか、という話になった。 「それは双方のリーダーを呼んできて、『いますぐ戦闘を止めろ。止めないとひざを撃つぞ』と言って脅すしかないですよ」 表情ひとつ変えずに、彼はそう答えたのだった。単純に「撃つ=殺す」と言ったのではない。「ひざを撃つ」と。それは「生かしておくが生涯不自由な生活を送ることになる。その覚悟はあるのだな」と脅すことだ。なんというリアリティーだろう。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」Ⓒ2025 Amazon Content Services LLC OR ITS AFFILIATES. All Rights Reserved.Ⓒかわぐちかいじ/講談社胸にしみたAdoの歌声 彼は四半世紀前、特別警備隊をつくる際に世界各国の特殊部隊関係者に会い、人脈を築いてきた。ミリタリーの極致を体現する特殊部隊の世界で生きる人物である。目的と行動の間に、何の雑味もないシンプルな、そして冷徹な世界。彼の感覚だと、軍事とはそういうものである。秩序を手に入れるには強い武器がいる。あとは、いつどこで、どんな武器を、どのように使うかだけ。強い武器、圧倒する軍事力の背景のない平和はありえないのだ。 長く「日陰者」として存在してきた自衛隊幹部である海江田が、「軍事による平和、世界秩序を」と、ためらいなく宣言した。武器も戦争も、遠くにあって人ごとと理解してきたはずの日本人は、この作品をどう見るのか。 軍事を認めるのか、認めないのか。すごく興味がある。いや、もしかしたら、ロシアのウクライナ侵攻が3年以上続き、イスラエルの戦争を誰も止められない「リバイアサン」時代の臭気を国民も感じ取っているのかもしれない。 作品が問いかける上記のような「問い」を少しはまじめに考えながら見るのか。それとも、海上自衛隊が全面協力し潜水艦にカメラを設置してまで撮った迫力ある映像を純粋に楽しむのか。それはその人の自由である。 ただ、エンドロールと同時に流れ始める、Adoというアーティストの「風と私の物語」(作詞作曲・宮本浩次、編曲・まふまふ)には心から感動した。 この楽曲は、世情に流されずに、自分を信じ、歌詞にあるように「サバイブ」していく人のつよさが浮き立っている。この超有名アーティストの歌をこれまで聴いたことがなかった自分が恥ずかしくなった。もっと聴きたい。【毎日新聞客員編集委員・滝野隆浩】【時系列で見る】【前の記事】地下道から釜山へ続いた「8番出口」 二宮和也が語った「塩こしょう」の演技論関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>