3号墳(円墳)を試掘した際のトレンチの様子。葺石が少なかった=徳島県海陽町多良で(徳島県提供)写真一覧 太平洋を望む徳島県海陽町で2023年、前方後円墳と円墳4基が並んで見つかった。ヤマト王権との関連も指摘される前方後円墳が、四国の太平洋側で確認されたのは初めてで、ヤマト王権の勢力が及んでいた可能性も浮上した。このため、現場は自動車専用道路の予定地だが、前方後円墳とそばの円墳計2基は現地保存が決まった。一方、残る円墳3基は……。尾根から古墳5基 県文化資源活用課によると、古墳が見つかったのは、高知県境に近い海陽町多良にある丘陵の尾根。用地買収開始直前の23年9月、町職員が土地の起伏を示した赤色立体図から古墳数基の存在に気付いた。そこで、徳島県と町が同年12月~24年4月にトレンチ(試掘溝)を21カ所掘り、調べた。Advertisement その結果、北西から南東に緩やかに傾斜する尾根約250メートル(標高36~46メートル)にわたり、前方後円墳など古墳5基を確認し、「多良古墳群」と呼ばれるようになった。2基は「国史跡級」保存方針の1号墳(前方後円墳)で試掘した際、トレンチで確認された葺石の様子=徳島県海陽町多良で(徳島県提供)写真一覧 最も南東に位置する前方後円墳(1号墳)は全長50メートルで、県は築造形態などから350~400年ごろに築造されたとの見方を強めている。南東から2番目の円墳(2号墳)は全長16メートルで、古墳の斜面などに並べたり張ったりする「葺石(ふきいし)」に、前方後円墳同様、角の丸くなった「河原石」が多く使われている点などから「前方後円墳と密接に関係がある古墳」と評価した。 県は1号墳について、全国的に希少で、四国の太平洋側では初の前方後円墳であることなどから「歴史的価値は極めて高い」(24年8月)とした。2号墳も「1号前方後円墳と密接に関係がある円墳」とし、1号墳とあわせて「国史跡の指定を検討すべき」とした。 2基は国土交通省が整備する阿南安芸自動車道・海部野根道路の海部インターチェンジ(IC、仮称)予定地にあるが、県の要望を受け、ICの位置をずらし、現地で保存されることが決まった。「希少性は低い」 これに対し、同自動車道の本道予定地に位置する三つの円墳(3~5号墳)について、県は出土した土器片などから、1、2号墳より古い「(古墳時代)前期の円墳」と推定する。また、3、5号墳の試掘では、亡くなった人物を納めた棺(ひつぎ)を埋めた埋葬主体部とみられる竪穴が確認された。ただ、地質などから、県は人骨や金属製装飾品といった遺物が地中に残っている可能性は低いとみる。 そして、試掘時に確認された葺石が「河原石」でなく、岩を割った割石が比較的多かった点などから、「(1号墳との)直接的な関係性や類似性が、確認されていない」とし、「相対的には、希少性は低い」と評価し、道路建設工事が進められることになった。 付近は発生が近いとされる南海トラフ巨大地震や津波で大きな被害や集落の孤立も想定され、バイパスとなる同自動車道の早期完成を望む声もある。一括保存求める署名 だが、県が「国史跡級」とする1、2号墳と同じ尾根伝いに位置する3~5号墳を「希少性は低い」とした点に、古代史の研究団体「古代史塾」の藤井栄代表(76)=徳島市=が疑問を呈している。藤井代表は9月下旬、5基を一括保存するよう要望するオンライン署名2万6362筆を県と海陽町に出した。 実は多良古墳群の扱いが話し合われた24年8月の県文化財保護審議会で、委員から「1、2号墳と3~5号墳は、一つの丘陵尾根に古墳群として存在しており、立地から見て、関係性を持っていると捉えるのが考古学的な考え方」との指摘もあった。だが、審議会での多良古墳群の位置づけは「報告事項」で、1、2号墳のみ保存する方針が了承された。現地保存実現せぬ例も 埋蔵文化財は、土地所有者の意向や公共工事との兼ね合いで破壊される例も多い。1980年代に奈良市の平城京跡で見つかった長屋王邸跡は百貨店が建設され、姿を消した。近年では、JR品川駅(東京都港区)周辺の再開発事業に伴って見つかった日本最初の鉄道遺構である高輪築堤(800メートル)が、120メートル分のみの現地保存となった。 多良古墳群を巡っては、日本考古学協会も24年10月、5基一括保存を求める要望書を県などに提出したが、県は翌11月、評価に差をつけた判断内容を回答している。藤井代表は「多良古墳群について、奈良県内にある古墳と比べるなどしておらず、評価が不十分。円墳を含め、一括して現地保存すべきで、工夫の余地があるのではないか」と話している。 これに対し、県はすべての現地保存が理想としつつも、「地元の方々の協力のもと、調査を行い、関係機関と協議し、保存方針については決定している」と理解を求めている。【植松晃一】