「虫追い祭り」の消滅危機 救ったのは農協青年部 福岡・久留米

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毎日新聞 2025/10/5 09:15(最終更新 10/5 09:15) 813文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ネット公開された「田主丸・虫追い祭り覚書」をまとめた黒田俊光さん=JR田主丸駅舎2階で、2025年7月9日午前11時31分、前田博之撮影 久留米市田主丸町で3年ごと、今年11月22日に開かれる「虫追い祭り」。武者人形が合戦を演じる全国唯一の祭りは実は13年間途絶え、1977年に農協の青年組織が復活させていた。復活の経緯を中心に3月に発行された冊子「田主丸・虫追い祭り覚書」を久留米市は9月、ホームページで公開した。消えた行事復活への関係者の奮闘の記録。伝統文化が見直される今、同じ思いを持つ人々に届けられる。 虫追いは稲の害虫を払う行事。源平合戦で稲の刈り株に馬の足をとられて敗れた斉藤別当実盛が、「さねもりむし」となって災いをなす話が分布する。田主丸では江戸時代から、わらや竹で作った高さ約3メートルの武者人形や大馬で合戦を演じる。Advertisement 24ページの冊子は祭り全体を伝えながら、半分は64年の中断までと復活の記録。発端は77年9月、農協広報の「伝統芸能を何か残そう」との発案で、20代の青年組織が「では虫追いを」と決めたこと。祭りは10月22日なのでわずか1カ月半前だった。9月にネット公開された「田主丸・虫追い祭り覚書」の表紙 同10月4日に開催が正式決定。6日の勉強会で13年前の8ミリフィルムを見て、大馬が出ていると初めて知り、取り入れた。骨組みは不明だったが、幸い地元神社に捨てられ朽ちていた馬の残骸で判明した。人形操作の指導は祭り経験のある地元40代中心の10人が担い、練習は8日間。人形制作指導は地元の70代中心の4人が担当して5日間。「生きちょるうちに人形が作れてうれしかぁ」の感想が残っている。 冊子は元・町おこし協力隊で田主丸に移住した黒田俊光さん(65)が、同名の祭り記録などを参考にまとめた労作。黒田さんは「祭りは地域のSDGs(持続可能性)を示すバロメーター。竹やワラなどの材料、人手や方法の伝承、皆が支援する雰囲気など一つ欠けても消え去ってしまう。地元の人にはできる限りかかわってほしいし、多くの人にこの地元の宝を見に来てほしい」と話した。 冊子は市のホームページから検索する。【前田博之】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>