デジタルを捨てよ 町へ出よう!:黒いダイヤに沸き、子どもも湧き出す 昭和末期の炭鉱「池島」

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デジタルを捨てよ 町へ出よう!社会最新記事毎日新聞 2026/4/27 07:00(最終更新 4/27 07:00) 879文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「撮って、撮って!」=長崎県外海町(現・長崎市)の池島で1987年3月27日、中村琢磨撮影写真一覧 2001年の閉山後も、観光事業で「炭鉱」の保存活動をしてきた池島。トロッコでの坑内探検ツアーも、27年3月末で廃止になるそうです。40年近く前、島を訪れたことがあります。当時は今よりも活気がありましたね。ツアー終了のニュースを聞いて当時を思い出し、未発表のフィルムを発掘してみました。【中村琢磨】 池島に上陸して思ったのは、島に活力がみなぎっていたこと。子供たちがあちらこちらから湧き出し、興味津々な様子で近寄ってきます。Advertisementフェリーから降りる人々=長崎県外海町(現・長崎市)の池島で1987年3月27日、中村琢磨撮影写真一覧 そう感じたのには訳がありました。私は直前に、同じ長崎の炭鉱の島・高島(1986年11月閉山)に足を踏み入れていたからです。 閉山直後の高島では船が出る度に、「島を去る人々を見送る紙テープ」が宙を舞いました。膨大な量でした。なんだか感傷的な気分に陥ります。 炭鉱が閉山になり、島の人口もどんどん流出。時代の流れで仕方ないといえども、寂しさは拭えません。だからこそ、池島には長い間、「炭鉱の島」として存続することを勝手に期待していたのです。欲を出さなければなんでもそろう理想郷だった=長崎県外海町(現・長崎市)の池島で1987年3月27日、中村琢磨撮影写真一覧 さまざまな関連の産業はありますが、島は石炭で成り立っています。職住接近ですね。下請けかどうかで住むアパートが変わることはありますが、比較的貧富の差が少ない“ちょっぴり共産主義的”社会だったのかもしれません。 風呂も、基本的に各家庭にはなく、公衆浴場でした。パチンコ店などが並ぶ中心街に車は通りませんでした。来訪者から見ると、何とも平和な島に思えました。池島では風呂は共用、「裸の付き合い」が基本でした=長崎県外海町(現・長崎市)の池島で1987年3月27日、中村琢磨撮影写真一覧 実はこの4年後、毎日グラフ91年9月15日号の撮影で池島を再訪しました。撮影はカラーポジでした。その時も池島は「元気」だと感じましたが、残念ながら池島炭鉱閉山の時の取材は「蚊帳の外」でした。 機会があったら、今度は池島をドローンで空撮してみたい気持ちはあります。でも今の私の体力だと、きっとかなわぬ夢でしょう……。撮影機材Nikon New FM2、Nikkor35-70mm F3.5積み出しを待つ黒ダイヤの山=長崎県外海町(現・長崎市)の池島で1987年3月27日、中村琢磨撮影写真一覧 1台で勝負! フィルムはKodak Tri-Xを3本使って余りました。個人の趣味(全て自費)で撮影したので、フィルムの消費量が圧倒的に少ないですね。【前の記事】物価高に負けないぞ! 4×5シートフィルムを自分で現像しよう関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>