震災前に誕生日を祝った時の写真。紫桃千聖さん(左)と姉朋佳さん=宮城県石巻市で2013年12月、小川昌宏撮影写真一覧 全校児童108人。1学年1クラスだけの小学校が母校だった。毎年同じクラスメートと校庭を駆け回り、けんかをし、恋をした。このまま一緒に卒業する未来を思い描いたが、それは突然消えた。15年前、大津波が同級生6人の命を奪い、ずっと好きだった初恋の女の子もこの世を去った。宮城県石巻市の今野憲斗さん(26)は、彼女に聞けないままになった言葉を今も胸に宿す。「最後にくれた手紙、どんな思いで書いてくれたの?」上履きのまま避難 迎えに来た母に救われ 2011年3月11日。激しい揺れに襲われた午後2時46分は「帰りの会」の最中だった。 石巻市立大川小学校の5年生だった今野さんは、とっさに机の下にもぐった。揺れが収まると先生らに促され、上履きのまま校庭へ走った。Advertisement被災した大川小校舎を訪れた今野憲斗さん。2階にあった5年生の教室を見るたび、思い出がよみがえるという=宮城県石巻市で2026年2月11日午後1時52分、百武信幸撮影写真一覧 雪が降りそうな灰色の空だった。同級生は、自分と同じように寒さと恐怖で震えていた。そのうち近所の人が避難してきた。先生と言い合いのようになっている人を見たが、内容は分からない。保護者も次々と迎えに来た。 今野さんの母も職場から車で駆けつけた。「ほっとしたけど、みんなを置いて先に帰るさみしさと申し訳なさがあった」。早く帰ろうと手を引く母は必死だった。初恋の少女は校庭に 遠くに見た横顔 とっさにあの子を捜した。初恋相手の同級生の紫桃(しとう)千聖(ちさと)さん。少し遠くに横顔が見えただけだった。 学校から約2キロの自宅に着き、すぐに2階へ。窓からは真っ黒の濁流が見えた。何度も押し寄せる津波に死の恐怖を感じたが、1階天井で止まった。家族は全員無事だった。がれきが取り除かれた大川小学校の3年1組の教室。右奥に裏山が見える=宮城県石巻市で2011年5月13日午前10時40分、梅村直承撮影写真一覧 校庭の児童たちは午後3時半すぎ、先生らの誘導で避難を始めた。校庭より少し高い橋のたもとへ向かったが、津波にのまれた。小学校に残された時計は午後3時37分で止まっていた。頭が真っ白 同級生ら津波の犠牲に 数日後。身近な人の安否が気になり、避難所へ父と車で向かった。その途中、泣きながら話している人が窓越しに見えた。千聖さんの両親だった。その表情を見て直感した。東日本大震災の大津波に襲われた大川小学校(中央右)。奥に流れるのは北上川=宮城県石巻市で2011年4月17日午後0時22分、本社ヘリから小林努撮影写真一覧 「ちーちゃん、家に帰っていないんだ」。頭が真っ白になった。「どんな事実よりも絶望した瞬間だった」 大川小では、全児童108人のうち74人と教職員10人が犠牲になった。同級生は15人のうち、千聖さんを含む6人が亡くなった。 引っ越しで転校せざるを得ず、大川小の友人と顔を合わせる機会は減った。同級生が亡くなったことを受け止められずに気持ちが荒れ、けんかをして校長室に呼ばれたこともある。「亡くなったみんなの所へ行こうかな」。そんな思いにとらわれた時期もあった。震災発生から49日目となり、祭壇に遺影が飾られた大川小の合同慰霊祭=宮城県石巻市の飯野川第二小で2011年4月28日午前9時、梅田麻衣子撮影写真一覧 転校してから時々、大川小の夢を見た。震災前に同級生と遊ぶ情景だった。途中で「もう会えないんだ」と気づき、泣いて目が覚めた。後悔と罪悪感 高校生のときに見た夢は、千聖さんの父隆洋さん(61)が運転する車の助手席にいた。夕暮れ時、川にかかる道を進みながら、千聖さんの思い出を語り合った。 ふいに隆洋さんが悲しそうにこちらを向いた。「どうして一緒に連れて行ってくれなかったの」。車はぐんぐんスピードを上げ、苦しくなって目が覚めた。 今野さんはこう思う。「絶対にそんなことを言う人じゃない。自分の中の罪悪感が言わせてしまった」 震災直後に校庭で集まったとき、もし「一緒に帰ろう」と声をかけていたら。そんな後悔がずっと心の中にある。 千聖さんとは幼稚園から一緒。低めの声や笑顔も全部好きだった。体育の50メートル走ではフォームに見とれてしまった。最後に渡された手紙に「好きだよ」被災した大川小学校の旧校舎を望む高台に立つ今野憲斗さん=宮城県石巻市で2026年2月11日午前10時49分、百武信幸撮影写真一覧 低学年の頃から「好きです」と書いた手紙を渡したが、返事はいつも「ごめんね」。最後に手紙を渡したのは、震災の1カ月ほど前だった。6度目の告白だったが、1週間後に渡された手紙にはただ一言、「私も好きだよ」と書かれていた。 「うれしくて有頂天」だった。でもどうして急に、好意を示してくれたのだろう。教室では深く聞けず、いつか聞こうと思ったまま、あの日が来てしまった。 思い出は胸にしまい込んだ。止まった時間を動かしてくれたのは、成人式で再会した同級生の只野哲也さん(26)だった。 只野さんは津波にのまれながらも生還した。千聖さんの死を悟って絶望した日、避難所で再会して涙で抱き合った。千聖さんに恋の手紙を運んでくれた親友でもある。 久しぶりに本心を語り合った。家族を亡くした只野さんとは抱える痛みの形は違っても、言葉にできず苦しんできたことは同じだった。10年後の訪問 ほほ笑んで見えた写真横倒しになった大川小学校の渡り廊下の前で、震災前の記憶を語る「Team大川 未来を拓くネットワーク」の只野哲也代表(右)と今野憲斗さん=宮城県石巻市で2025年5月24日午後2時7分、百武信幸撮影写真一覧 いつか千聖さんの写真に手を合わせられたら、と願ってきた。でもあの日、先に帰った自分に「その資格はない」と思い続けてきた。 その背中を、只野さんが押してくれた。震災から10年が過ぎ、千聖さん宅の訪問に誘ってくれた。仏壇の写真はほほ笑んで見え、泣かずにすんだ。 両親は温かく迎えてくれ、学校ではおとなしかった千聖さんが家ではおしゃべりだった一面を教えてくれた。心が少し晴れた気がした。 大学生になって恋人ができ、幼い命を守る保育士の職を選んだ。初恋を引きずってはいないが、ずっと好きだった気持ちや当時の自分は心の奥にしまってある。 大川小の旧校舎は現在、震災遺構として公開され、全国から年間7万~8万人ほどが訪れる。 その周辺にみんなが帰ってこられる古里をつくろうと、只野さんらと「Team大川 未来を拓(ひら)くネットワーク」を4年前に設立した。震災伝承と地域再生に取り組む団体だ。お盆の時期に企画した紙灯籠に明かりをともす行事で、四つ葉のクローバーの形に並んだ明かりの中を歩く今野憲斗さん(右)=宮城県石巻市で2025年8月16日午後7時17分、百武信幸撮影写真一覧 お盆の時期には、紙の灯籠(とうろう)の明かりをともす行事を企画し、学校の案内役を務める。見学者を前に被災体験を話すときは、震災前の生活に触れるようにしている。幸せを運ぶクローバー 紹介するのは、学校の中庭で四つ葉のクローバーを探し、押し葉やしおりにして千聖さんにプレゼントした思い出だ。 大川小を悲しいだけの場所として見るのではなく、楽しい日常があったことを想像してもらいたいと願っている。 昨夏、この思い出を話したら、少年が笑顔で駆け寄って来て「見つけたよ」と四つ葉のクローバーをくれた。千聖さんとの思い出が、大切なものとして少年に伝わったことがうれしかった。 被災の傷痕が残る校舎周辺にもシロツメクサが芽吹き、葉を広げている。少年から四つ葉のクローバーを手渡され、笑みを浮かべる今野憲斗さん=宮城県石巻市の震災遺構「旧石巻市立大川小学校」で2025年8月16日午後5時12分、百武信幸撮影写真一覧 今も大川小に行けば、あの頃の千聖さんや友人に会える気がする。いつかこの場所が、再び子どもたちの笑い声であふれますように。 少年からもらった四つ葉はしおりにして、大切にしまってある。大川小に足を運んで 震災で大切な人を失った子どもたちは、心に深い傷を抱えながらも外からは見えづらく、孤立を深めた。心の整理が追いつかず、周囲を気遣い、言葉にしないまま大人になった人がいる。大きな被害を受けた宮城県石巻市立大川小学校(上・2011年4月17日、本社ヘリから小林努撮影)。15年がたつ石巻市の大川小学校(下・2026年2月12日、本社ヘリから)写真一覧 今野憲斗さんの「絶望」を初めて知り、そうした若者の存在を強く意識させられた。 私が今野さんと出会ったのは、20年の成人式の頃。津波から生還した只野哲也さんが、好奇の目にさらされ続けることに悩みを深めていた時期だった。 幼なじみの今野さんと只野さんは成人式で再会し、大川小で新たな活動を始める中心メンバーとなる。2人は悩みを分かち合う心強い仲間に戻った。 その2人がよく話題にしたのが「クローバーの物語」だった。今野さんが好きな人に渡してフラれたと楽しそうに話すので、淡い失恋話だと思っていた。 今野さんは旧校舎の見学者に体験を話すようになってから、苦しかった胸中を少しずつ語り始めた。大川小から転校後に心が荒れ、自暴自棄になったという過去は只野さんも初めて知る話だった。 いつもにこやかな今野さんからは想像できず、詳しく聞くと、悲しみの中心にあったのが紫桃千聖さんとの別れだと打ち明けてくれた。 千聖さんの母さよみさん(59)に話を聞くと、幼稚園の頃から今野さんのいちずな思いを、親同士で見守っていたという。「Team大川 未来を拓くネットワーク」の伝承活動で、大川小学校の思い出を只野哲也さん(右)とともに振り返る今野憲斗さん=宮城県石巻市の大川震災伝承館で2025年5月24日午後2時33分、百武信幸撮影写真一覧 さよみさんは震災の年、今野さんへの感謝の気持ちと「娘を忘れないで」という思いを込め、千聖さんの写真入りのキーホルダーを渡していた。 その後、さよみさんは「重荷になっていないか」と心配していた。それだけに、大人になった今野さんが家を訪ね、交際相手がいると報告してくれたときはうれしかったという。 今野さんらによる古里再生の活動は、あの日までの記憶と今をつなぐ意味が込められている。 彼らに会いに、そして四つ葉のクローバーを探しに、大川小へ足を運んでほしい。【百武信幸】