毎日新聞 2026/3/3 05:00(最終更新 3/3 05:00) 有料記事 2597文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷長女の隆子さんと写真に写る深沢定実さん=橋本隆子さん提供 ここに角が丸くなり、色あせた1冊の本がある。表題は「日本身体障害者スキー協会20年記念誌」。発行から約30年がたった本には協会の歩みとともに、1976年にスウェーデン・エーンヒェルツビークで開かれた障害者スキーの国際大会に出た男性の寄稿が掲載されている。 <アルペンはヨーロッパが盛んであり、クロスカントリーは北欧が主体であり、さすが、先進国のスキーの歴史の古さを感じたものでした> この大会は、後に第1回冬季パラリンピックと呼ばれるようになる。16カ国から198人の選手が出場した。 日本の選手団は不参加だったが、日本パラリンピック委員会(JPC)のホームページには「長野県・男性が個人参加」と記されている。 男性の名は深沢定実さん。日本人で最初の冬季パラリンピアンになるのだが、その足跡はあまり知られていない。 今から50年前、一人の障害者スキーヤーを孤独な挑戦へと駆り立てたものは何だったのか。無愛想でも理論的 「厳しい面もありましたが、心からスキーを愛している人でした」 元日本障害者スキー連盟副会長の目黒正己さん(81)=新潟県長岡市=は、記念誌に載った深沢さんの写真を懐かしそうに見つめた。 ミラノ・コルティナ冬季パラリンピックが6日(日本時間7日)に開幕します。第1回冬季大会から今年で半世紀。日本のパラスポーツの礎を築いた人々の歩みを振り返ります。全3回の第1回、5日まで連日午前5時に公開予定です 目黒さんは20歳の時にオートバイ事故で左脚の切断を余儀なくされた。周囲の障害に対する理解は乏しく、片足で生活する姿は好奇の目にさらされたという。 職場と家を往復する日々の中で障害者を対象としたスキー大会が開かれることを聞き、連絡を…この記事は有料記事です。残り1873文字(全文2597文字)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>