毎日新聞 2026/3/2 16:00(最終更新 3/2 16:00) 有料記事 3067文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷イラン国内には青を基調とした美しいモスクが多い=イラン中部イスファハンで2012年、鵜塚健撮影 米国とイスラエルによるイラン攻撃の背景には、長年にわたる米イラン対立の歴史があります。日本の多くの人には縁遠い中東の国イランですが、国際社会では動向が常に注目される大国の一つです。なぜ米国と仲が悪いのか? 一体どんな国なのか? 4年間(2009~13年)のイラン滞在経験がある記者がやさしく解説します。【鵜塚健(元テヘラン支局)】ミニスカ女性が街歩いた時代も ――イランと米国はずっと対立しているようですが、なぜそこまで仲が悪いのでしょう。 ◆実は1979年のイスラム革命まで、イランは「中東一の親米国」だったのです。 革命前のイランは、現在の「イスラム共和制」とは違い、パーレビ国王が統治する王制でした。当時のイランは米国と蜜月関係で、米国に輸出した石油の収入で、米国から戦闘機などの武器を大量に購入していました。今のサウジアラビアと米国の関係に似ています。 欧米文化も取り入れ、当時を知る住民に尋ねると、ミニスカートの女性が町中を歩き、目抜き通りにはお酒が飲めるバーも多くあったといいます。 しかし、潤ったのは国王周辺や都市部住民ばかりで、地方や貧困層は取り残され、貧富の差の拡大が問題になります。欧米の文化を退廃した文化と感じ、それらが入り込むことをよく思わない国民も多くいました。 そんな不満の蓄積から民衆によるイスラム革命(79年2月)が起きました。その革命で国外に逃亡した元国王を米国が受け入れたことから、イランの若者らが激怒。同年11月、テヘランの米大使館占拠人質事件が起きたのです。 52人の米外交官らが444日間も人質として拘束され、米政権・国民にとって悪夢のような事件になり、米映画「アルゴ」(12年)の題材にもなりました。事件以降、米イランは国交を断絶し、今に至っています。米国の「不正義」が根底に ――革命以降、関係回復のチャンスはなかったのですか。 ◆その後も関係が悪化する事態が続きます。 80年、フセイン大統領が治める隣国イラクがイランに侵攻し、イラン・イラク戦争(~88年)が勃発します。イラン側は通常の軍に加え、革命後に創設された軍事組織である革命防衛隊が前線で戦いました。 米国はこの戦争で…この記事は有料記事です。残り2153文字(全文3067文字)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>