さよならのない喪失 新型コロナ・遺族の今毎日新聞 2026/3/3 11:00(最終更新 3/3 11:00) 有料記事 2357文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷生前のままの藤沢大眺さんの部屋=静岡市葵区で2025年11月29日、久保玲撮影 障害のある子の親として「自分が一生守っていくつもり」だった。しかし別れは突然だった。 お気に入りだったアンパンマンのおもちゃの楽器や電子キーボードが置かれたままの部屋。骨つぼや位牌(いはい)、遺影が増えた以外は当時と何も変わらない部屋の掃除を、藤沢大輔さん(57)は今も欠かさない。 2022年2月、新型コロナウイルスの感染「第6波」で新規感染者が急増していた。大輔さんは静岡市葵区で子供2人と暮らしていた。<息子の死後に生まれた交流>からつづく新型コロナウイルスのパンデミック宣言から6年。日常が戻り、コロナ禍の記憶が徐々に薄らいでいく中で、喪失を抱えながらも絆を大切に生きる遺族の今を伝えます。全5回の第3回です。5日まで毎日11時にアップします。過去の連載はこちらから 12日の夕方、昼間は普段通りだった当時24歳の長男大眺(だいち)さんが40・4度の熱を出した。次男の雄偉(ゆうい)さん(27)が自宅の部屋で意識がもうろうとした様子で顔が真っ赤の大眺さんに気づいた。 声をかけても反応が鈍い。大眺さんは重度の知的障害があり、症状を的確に説明できなかった。救急車を呼び、同乗した雄偉さんが手を握ると苦しみからか強く握り返した。 搬送された市立病院でPCR検査を受けた。血中酸素飽和度を測定するパルスオキシメーターは数値が安定する前に指先から外すと正確に測れないが、大眺さんは1秒もたたずに外してしまった。 看護師から「測れたからいいですよ」と言われ、PCR検査の結果は「30分くらいしたら出る」と陰圧室で待機するよう指示された。車で後から続いた大輔さんは中に入れず車内で待つことになった。 部屋に椅子はなく、硬く冷たい床に座っていた。大眺さんは苦痛からか床に頭を打ちつけたり、腕をかんだりするなど自傷行…この記事は有料記事です。残り1602文字(全文2357文字)【時系列で見る】【前の記事】「このままでいいんだよね」 息子の死後に生まれた交流が癒やしに関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>