さよならのない喪失 新型コロナ・遺族の今:「その数の分だけ人生があった」 風化の中で願う思い

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さよならのない喪失 新型コロナ・遺族の今毎日新聞 2026/3/4 11:00(最終更新 3/4 11:00) 有料記事 2425文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ベッドに置かれた村若悠陽さんの写真がプリントされたクッション=鹿児島市で2025年11月25日、久保玲撮影 初めてのピアノ発表会を前に、カメラに向かって緊張しながらもほほ笑む男の子。その姿がプリントされたクッションがベッドに置かれ、布団が掛けられていた。村若悠陽(はるひ)さん、11歳。2022年7月26日、新型コロナウイルス感染症による劇症型心筋炎で亡くなった。 流行の「第7波」で新規感染者が連日各地で過去最多を更新していた当時、悠陽さんは鹿児島市内で家族6人で暮らしていた。亡くなる5日前の21日に頭痛があり、22日には熱が38度台まで上がった。自宅近くの病院で抗原検査を受けて陽性が判明した。<我が子の部屋、掃除を続ける理由>からつづく新型コロナウイルスのパンデミック宣言から6年。日常が戻り、コロナ禍の記憶が徐々に薄らいでいく中で、喪失を抱えながらも絆を大切に生きる遺族の今を伝えます。全5回の第4回です。5日まで毎日11時にアップします。過去の連載はこちらから 基礎疾患はなく、自宅療養となった。宿泊療養をするかの問い合わせがあったが、母清子さん(49)は悠陽さん一人では難しいと考えた。本人も自宅を希望した。 病院から処方された解熱剤を飲んでも熱は下がらなかった。食欲も戻らない中で24日の夕方から夜にかけて2回嘔吐(おうと)した。 25日未明にも嘔吐があった。「その時に、あれ?と思った。心のどこかで、これはおかしいって思っていた自分はいる」と父修さん(65)は振り返る。「子供は重症化しないという思い込みや、医療が逼迫(ひっぱく)している中で救急車を呼んだり、病院に連れて行ったりするのは控える雰囲気があった」 25日朝、足が痛いと訴えた。夕方、「歩けない」と言いながらも自力でトイレに行った。「水分取って、熱も測ってね」と清子さんが言うと悠陽さんは「うん」と答えた。 数分後、「熱は測った?」と尋ねても反応がない。清子さんが検温すると35・1度で「体温計が壊れてると思った」。再度測っても変わらず、手や足を触ると冷たく、血色が悪かった。 直後に「お母さん、暖房にして」と言った。真夏で部屋は冷房が利いていたが清子さんはエアコンを切った。上着を着せようとすると体が硬くなり始め、瞳孔が開いた。呼吸もないため慌てて119番した。 到着するまでの間、通信指令員の指示を受けながら修さ…この記事は有料記事です。残り1480文字(全文2425文字)【時系列で見る】【前の記事】「障害持つ子の親として」 部屋の掃除を続ける理由関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>