毎日新聞 2026/4/15 12:00(最終更新 4/15 12:00) 1304文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷母一美さんが亡くなった自宅跡で手を合わせる高田尚子さん=熊本県南阿蘇村で2026年3月25日午後2時40分、黒澤敬太郎撮影 2016年4月16日の熊本地震の「本震」で倒壊した自宅の下敷きになり、一緒にいた母を亡くした高田尚子さん(40)=熊本県菊陽町=は地震の後、助かった自分を責め続けた。「私も一緒に天国に連れて行ってほしかった」と思ったこともある。それでも周囲の励ましや笑顔が、生きる意味を自問してきた高田さんを支えた。「お母さんの分まで生きないといけない」。地震から10年を迎え、視界の先に明日を見る。 地震前、高田さんは母一美(いちみ)さん(当時62歳)と2人で、同県南阿蘇村立野(たての)地区に暮らしていた。一美さんは障害者施設の調理場に勤務しながら、近くに暮らす高齢の母の買い物や庭の手入れなどを手伝う働き者だった。福岡市であるアーティストのライブに一緒に行ってくれるよう高田さんに頼まれると、「しょうがないな。あんたが行きたいと言うなら」と言いながら付き添ってくれる優しい母だった。Advertisement 本震の揺れが襲った時、高田さんと一美さんは木造2階建ての1階居間で、一緒にこたつに入っていた。「お母さん!」。突然の激しい揺れに、高田さんは声を上げた。一美さんと目があった瞬間、天井が崩れ落ち、下敷きになった。 高田さんは折り重なった柱の隙間(すきま)のお陰で助かった。だが、一美さんは声をかけても返事をしない。自分の足に触れていた母の足は、だんだん冷たくなっていった。高田さんはまもなく消防団員に救出された。 「ごめんね」。母の遺体と面会した高田さんは、そう声をかけることしかできなかった。母を置いてきてしまった……。「どうして私だけ助かってしまったのか」と自分を責める気持ちに襲われた。「あんただけでも助かって良かったたい」と家族や親戚から慰められたが、素直に受け止められなかった。熊本地震で亡くなった高田一美さん=遺族提供 地震からしばらくは、心の傷が開いたままだった。それが少しずつ塞がっていったのは、周囲の笑顔に触れたからだ。親戚の結婚やおいっ子の高校卒業に「幸せな様子を見られて良かった」と喜びを感じた。生きていたからこそ、見ることができる光景があることに気づいた。「お母さんに恥ずかしくないように生きないといけない」と思えた。地震直後にかけられた励ましの声にも、感謝できるようになった。いつか母に伝えたい言葉 心の傷が完全に癒えたわけではない。緊急地震速報が鳴ったり、能登半島地震などのニュースに触れたりすると、10年前の光景をありありと思い出す。 母のことを語ると涙は止まらなくなる。それでも「熊本地震を忘れてはいけない」と思う。元気だった人が突然いなくなるのが自然災害だ。街が復興に向かい、当時を思い起こさせるような光景がなくなっていっても、そのことを覚えていてほしいと願う。 高田さんは、一美さんに向けて心の中で声をかけることがある。「みんな元気にやっとるよ」。きっとそばで自分たちを見守ってくれていると思うからだ。生きてきたからこそ、今日がある。 「いつかお母さんと会う日が来たら、なんとかやってきたよと伝えたい」 命日の16日、高田さんは県や南阿蘇村の追悼式に参列し、10年前に思いをはせながら一美さんの冥福を祈るつもりだ。【中里顕、黒澤敬太郎】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>