消えない爪痕 チョルノービリ原発事故40年ストーリー 岡大介毎日新聞 2026/4/19 07:00(最終更新 4/19 07:00) 有料記事 2770文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ナタリア・ホデムチュクさん(右)とラリサさん=キーウ近郊で2019年ごろ撮影(ラリサさん提供) ウクライナの首都キーウにあるアパート7階の一室。室内に足を踏み入れると何かをいぶしたような強烈な臭いが鼻をつき、キッチンや廊下からベッドのマットレスまで、至る所が黒焦げになっていた。 2025年11月、ロシア軍が放ったドローンがこの部屋に衝突し、1人暮らしの高齢女性が亡くなった。 女性の名前はナタリア・ホデムチュクさん(当時73歳)。1986年4月26日に起きたウクライナ北部のチョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故の最初の犠牲者とされる技術者、ワレリー・ホデムチュクさんの妻だ。 事故後、原発近くの町からキーウへの移住を余儀なくされ、女手一つで2人の子どもを育て上げた。静かな余生を送っていたさなかの悲劇だった。「楽園に住んでいた」 ナタリアさんはチョルノービリからほど近いウクライナ北部コパチ村の出身。70年に建設が始まった原発の構内で喫茶店の店員をしていた時に、原発で働いていたワレリーさんと出会った。71年に結婚し、翌年には長女が生まれた。 家族は原発従業員のために造られた原発から数キロの町プリピャチで暮らしていた。当時は小さな集落だったが、1977~83年に原発1~4号機が順次、運転を開始するにつれて社会インフラの整備が進んだ。 大規模な病院から温水プールまである近代的な都市に発展し、人口は5万人に達した。商店ではキーウでもまだ珍しかったバナナが買えた。 夫婦はその後、長男も授かり、家族4人でつつましく暮らしていた。プリピャチは町を一歩出れば自然が広がる土地で、ワレリーさんが非番の時、家族は森にテントを張ったり、近くの池に浮かべたボートで夜を過ごしたりした。長女のラリサさん(53)は「私たちは楽園に住んでいた」と振り返る。非公表だった事故、先行した「うわさ」 86年4月25日、夏を先取りしたような暑さだった。ナタリアさんはこの日の夫との…この記事は有料記事です。残り1987文字(全文2770文字)【前の記事】戦争で狙われる原発 浮き彫りになる脆弱性、軍事攻撃は想定せず関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>