エキスポタワーの解体と太陽の塔の残存 万博遺産が示す光と影

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毎日新聞 2026/4/21 14:00(最終更新 4/21 14:00) 有料記事 1519文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷エキスポタワーで始まった解体工事の様子。左上は太陽の塔=2002年11月21日、本社ヘリから大橋公一撮影 21世紀に入る直前だったと記憶している。大阪・千里丘陵の一角で「エキスポタワー」を見上げ、息をのんだ。「人類の進歩と調和」をうたった1970年大阪万博のシンボルである。それが色あせ、廃虚と化していた。高さ127メートルの垂直の高塔に多面体の「キャビン」が複数取り付く。万博閉幕後の来場者は少なく、展望室の雨漏りもあって90年10月に営業を休止して以降は放置状態だった。宇宙船のような近未来的デザインゆえに、カタストロフ後の人類の末路を思わされた。 エキスポタワーを北から見据えていた高さ約70メートルの巨大な芸術作品がある。岡本太郎(1911~96年)の手になる「太陽の塔」だ。万博当時はシンボルゾーンのテーマ館の一部を構成し、お祭り広場の大屋根(高さ約30メートル)を突き破る格好で建っていた。来場者は塔内をエスカレーターで上昇しながら生物の進化を表す「生命の樹(き)」を眺める趣向だった。太陽の塔の外観のデザインは言葉による説明を拒絶する。あえて言うなら太古の土偶だろうか。和歌山で「万博レガシー展」 和歌山県立近代美術館(和歌山市吹上1)で2部構成の展覧会「万博のレガシー 解体と再生、未完の営為を考える」が5月6日まで開催中だ。第1部は「万博と日本 グローバリズムの光と影」と題し、明治政府が殖産興業の一環で5回開き、日本での万博前史となった内国勧業博覧会の様子を伝える木版画など。近代国家を目指す産業振興の場にはやがて…この記事は有料記事です。残り904文字(全文1519文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>