毎日新聞 2026/4/18 15:00(最終更新 4/18 15:00) 有料記事 2085文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷質問に答える日本被団協の浜住治郎事務局長=東京都港区で2026年4月9日、内藤絵美撮影 父は熱線で焼かれ、家族には三つの金具だけが残された。「最年少の被爆者」はその苦しみを、分水嶺(ぶんすいれい)にある世界で語り継ぐ――。 核軍縮などの道筋を話し合う核拡散防止条約(NPT)再検討会議が27日、米ニューヨークの国連本部で始まる。過去2回の会議は最終文書を採択できずに決裂し、NPT体制は形骸化が叫ばれて久しい。国際情勢が混迷を深める中、世界は軍縮の歩みを進めることができるのか。 会議でスピーチする日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の浜住治郎事務局長(80)は「核兵器と人間は共存できない。NPTが積み上げてきた合意を守ってほしい」と、被爆者の思いを訴える。 浜住さんは、この世に生を受ける前から被爆者だった。1945年8月6日午前8時15分、米軍が広島に原爆を投下した時にはまだ、母ハルコさん(当時38歳)のおなかの中にいた。 その日の朝、父正雄さん(当時47歳)はいつものように出勤し、姉2人も学徒動員でそれぞれの職場に出かけていった。広島市内の自宅には妊娠3カ月の母や幼い子どもが残った。 父が家を出て30分くらいたった頃だろうか。突然、ふすまや障子が倒れ、窓ガラスが飛び散った。自宅は市中心部から約4キロ。続々とけが人が避難してきた。父だけが、…この記事は有料記事です。残り1549文字(全文2085文字)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>