2000年12月30日夜。テレビはこぞって特番を組んでいた。まもなく迎える21世紀を前に、少し特別な年末の夜だった。 東京都世田谷区の3階建て一軒家では、両親と子ども2人が晩ご飯を食べ、だんらんの時間を過ごしていた。夕方には4人そろって近所の商店街へ買い物に出かけていた。 家は京王線千歳烏山駅から約1.2キロ、都立公園近くにあった。公園拡張に伴う立ち退きが進み、周囲には4世帯しか残っていなかった。 00年12月31日午前、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の住宅で、この家に住む会社員の宮澤みきおさん(当時44)と妻泰子さん(同41)、長女にいなさん(同8)、長男礼君(同6)が殺害されているのが見つかった。 事件から25年。前日夜から朝にかけて何があったのか、捜査関係者への取材で振り返る。犯人が侵入したとみられる中2階浴室の窓。地上約3.4メートルの高さにある=2025年12月17日午前9時20分、東京都世田谷区上祖師谷3丁目、吉村駿撮影浴室の小窓から侵入か、隣の部屋には子どもが…… 住宅への侵入経路で、警視庁が可能性が高いとみとるのが中2階にある浴室の小窓だ。侵入した形跡があったという。 住宅の周囲には、フェンスが張り巡らされ、足をかければ、大人なら中2階浴室の小窓に体が届く高さだった。 浴室の隣にある2段ベッドの下段は、保育園に通う礼君が寝ていた場所だ。首を絞められ、窒息死した状態で見つかった。 1階では、みきおさんが刃物で、胸や顔を何度も刺され亡くなっているところが見つかった。犯人は一家のものではない、柳刃包丁を持ちこんでいたとみられる。 中2階からはしごを使って、3階部分に当たるロフトへ上がった形跡もあった。泰子さんとにいなさんはロフトや中2階で襲われたとみられ、2人は中2階の廊下で亡くなっているのが見つかった。胸や首を刺されていたという。 事件では、犯人が持ち込んだとみられる包丁のほか、室内にあった包丁も使われた。東京都世田谷区の会社員宮澤みきおさん一家4人が殺害された事件で、事件現場となった宮澤さん宅。宮澤さん宅の上が、都立祖師谷公園=2000年12月31日、世田谷区上祖師谷3丁目、朝日新聞社ヘリから深夜にパソコン操作?浴室にはアイスの容器 犯人が室内を歩き回った跡があり、タンスの引き出しは開けられていた。中にあった小物や書類はハサミで切り刻まれ、水を張っている中2階浴室の浴槽内で見つかった。 2階台所の冷蔵庫も開けられていた。中にあったアイスクリームは手で搾り出すようにして食べた形跡があり、容器の一部も浴槽の中で見つかった。 日付が変わり、31日午前1時18分にパソコンが操作され、著名劇団サイトへアクセスした形跡があった。犯人が操作した可能性があるという。 午前10時56分、家を訪れた親族が亡くなっている4人を見つけて110番通報した。 犯人のものとみられる、バッグ、トレーナーなどは2階リビングに残されていた。凶器の包丁2本は台所で見つかった。 犯人は誰なのか、事件から25年が経った今もわかっていない。 事件発覚から3日後に現場に入った捜査員は取材に「これまで見たことがない特殊な現場だった」と振り返った。 家の至る所に滴ったような血痕があり、生乾きの状態だったという。脱ぎ捨てられた服やアイスクリームの空容器があったとして、「飲食や着替えの形跡がある現場は見たことがない。遺留品の数の多さも異例だった。不気味だった」と語った。遺留品から見える犯人像、靴は韓国製警視庁は犯人の服装を再現したマネキンや写真を小田急線成城学園前駅に設置し、情報提供を呼びかけた=2025年12月13日午前10時29分、東京都世田谷区成城6丁目、吉村駿撮影 犯人は、帽子、ジャンパー、トレーナー、マフラーなど遺留品約10点のほか、血痕も現場に残した。警視庁は身長170センチほど、血液型がA型の比較的若い男だとみている。 遺留品のうち流通量が限られたのがトレーナーだった。全国の41店舗で計130枚が販売され、東京都内では多摩市や葛飾区などの4店舗で計10枚が売れていたが、犯人にはたどりつかなかった。 子ども部屋、台所、廊下、階段など至る所に足跡があった。足のサイズは27.5センチで、靴は韓国製のスラセンジャーというブランドだった。国内では売られていないものだった。 ある捜査幹部は、「韓国旅行へ行ったり、韓国の知人からもらったりしたのではないか」と話した。捜査員を韓国へ派遣したこともあった。 現場からは現金約15万円が持ち去られたが「電気がついている明るい家にわざわざ入るだろうか」(捜査幹部)と、強盗目的ではなかったという見方もある。 動機面でも捜査は進められたが、一家が恨まれるような背景は浮かばなかった。 警視庁はこれまで延べ30万人近くの捜査員を投入し、寄せられた情報は約1万5千件にものぼる。警視庁は今年、情報提供を呼びかけるポスターを一新して捜査を続けている。世田谷一家殺害事件の現場となった住宅のイメージ