地震で更地の能登 再起への歩みを後押しした「阪神の教え」

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砂押健太根本佳奈毎日新聞 2025/12/30 06:00(最終更新 12/30 06:00) 2073文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷能登半島地震で半壊となり、公費解体した自宅跡地に立つ室谷美恵子さん。自宅があった蛸島地区は空き地が広がる=石川県珠洲市で2025年12月2日、岩本一希撮影 漁師町として知られる石川県珠洲(すず)市蛸島(たこじま)町で、その女性は半世紀余り暮らしてきた。 自宅があった所は今、周辺を含めて更地となって広がっている。自宅から遠くに見えていたはずの海原は、意外と近くに感じる。 「あんまり、来たくない場所ですね」 更地になって1年半近くが過ぎても、女性はここに立つと激しく揺れたあの恐怖を思い出す。 失った街並みは、すぐには取り戻せない。だが、諦めてもいない。「今は無理でも、いつかは活気づいた場所にしたい」。復興への一歩を後押ししたのは、阪神大震災で得た教えだった。Advertisement孫の代まで見据えて建設 女性は、室谷(むろや)美恵子さん(76)。夫(81)とともに「喫茶どりーむ」を蛸島で営んでいた。 2024年元日の夕方、店で花を生けていると突然、震度6強の揺れに襲われた。 電子レンジやトースターなどが次々と落下し、店内のグラスは割れて散らばった。近所の人の車に乗せてもらい、その時一緒にいた次女(51)と高台に避難した。その後、店から歩いて15分離れた我が家ではなく、3日ほど車中泊をしてから避難所へ向かった。 数日後、避難所から自宅に戻った。能登半島地震前の室谷美恵子さんの自宅。地震の影響で今は解体された=石川県珠洲市蛸島町で2023年5月5日(室谷さん提供) 孫の代まで見据えて建てた木造2階建てだった。瓦が落ち、壁には崩れた隣家が寄りかかっていた。中に入ると、階段はぐらつき住めるような状況ではなかった。 後に半壊と判定され、隣接する納屋は全壊だった。「生活なくなる」それでも自宅解体 避難所で1カ月、蛸島から車で南に130キロほどの津幡町で、「みなし仮設住宅」として市が借りたアパートで4カ月過ごした。この年の6月からは夫、次女と蛸島の仮設住宅で生活している。石川県珠洲市蛸島町 珠洲市は地震後、半壊以上の建物を対象に、所有者からの申し込みがあれば費用を負担して解体する「公費解体」を進めていた。 地元での再建を諦めたのか、室谷さんの親しかった住民は蛸島を離れ、近所の家は解体された。 「前まで隣同士で『元気?』って会話していたのに……。自宅に住み続けても取り残されたようでさみしさを感じた」 もし、自分も自宅を解体したらどうなるのか――。「ここでの生活もなくなってしまう」という思いが込み上げてきた。 それでも大規模に修繕する費用を考えれば、公費解体を頼んで市がこれから建てる災害公営住宅に入居する方が、現実的な選択に見えた。 「直す手もあったかもしれない。でも当時は考えられなかった」能登半島地震で損壊し、公費解体した自宅の跡地に立つ室谷美恵子さん=石川県珠洲市で2025年12月2日、岩本一希撮影 夏になり、住み慣れた自宅を市から委託された業者が訪れ、解体作業を始めた。当初はどこか無関心 その間に、街は復興に向けて歩み出していた。 1995年の阪神大震災後の神戸市の街づくりに関わったNPO法人「神戸まちづくり研究所」(神戸市)の有志メンバーらが、珠洲市を何度も訪れていた。 復興に向けて個人個人で訴えても、行政には伝わりにくい。そこで阪神大震災の時、住民らは地区ごとに集まって「まちづくり協議会」を設けて意見を集約し、地区の総意として神戸市などに伝えていた。 メンバーは、そのやり方を珠洲市でも実践してもらおうとした。能登半島地震前に営業していた室谷美恵子さんの「喫茶どりーむ」。店内には地震後に新調したグラスが並ぶ=石川県珠洲市で2025年12月2日、岩本一希撮影 協議会の設置に向け、蛸島では24年7月に最初の集会が開かれた。その後も集会は何度か開かれ、室谷さんは知人に誘われ冬に初めて参加した。 当初は参加者が数人と少なかった。 「みんな最初、自分の生活や暮らしの復旧で手いっぱいだった。新たな街づくりに向けた雰囲気にはほど遠く『全部行政がしてくれる』と、どこか無関心だった」復興に向けて議論する石川県珠洲市蛸島町のまちづくり協議会=同町の蛸島公民館で2025年11月21日(NPO法人「神戸まちづくり研究所」の野崎隆一理事提供) 46歳まで保育士だった室谷さんは、勤めていた保育園の園児や保護者、喫茶どりーむの客など蛸島に知り合いが多い。 子を持つ母親ら今後を担っていく若い世代を中心に、集会への参加を呼びかけた。 そのかいもあってか、集会の参加者は多い時で約30人となった。どんな体制で進めていくかが決まり、25年8月に蛸島の協議会が誕生した。「将来像が見えた気がした」 協議会には子育てやなりわい、防災など話し合うテーマに分けて五つの専門部会が設けられた。 室谷さんは10~11月、住まいや道路、河川の復旧をテーマにした部会などに参加した。子育て部会では、室谷さんが声をかけた母親らが「遊び場を設けてほしい」といった要望を出し合った。能登半島地震の発生当時を思い出す室谷美恵子さん=石川県珠洲市で2025年12月2日、岩本一希撮影 「若い人が考えを巡らせて意欲的なのが頼もしい。目で見える復興の形はまだないけど、話し合いをして将来像が見えた気がした」 専門部会ごとに出された要望を、室谷さんも加わる役員会で集約し、11月下旬に市に伝えた。 「ここで人と触れ合うことで、未来を見据えていける。『打ち勝っていこう』という底力が芽生えてくる感じがするんです」 蛸島には地震の直前まで、538世帯1151人が暮らしていた。それが25年11月末時点では487世帯942人になり、人口は2割近く減っている。 室谷さんは、蛸島を離れていった人たちにとっても、復興後のふるさとが心のよりどころになってほしいと願っている。 「協議会を通じて住む人が希望を持ち続ければ、ふるさとを守ることにつながると思うんです」【根本佳奈、砂押健太】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>