毎日新聞 2025/12/30 09:00(最終更新 12/30 09:00) 1272文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷京都成章の笹岡空翔選手(左から2番目)。練習中の選手へ積極的に声をかける=京都市西京区で2025年12月15日午後4時32分、資野亮太撮影 全国高校ラグビー大会に2大会ぶりに出場する京都成章の笹岡空翔(くうと)選手(3年)は今秋に左膝を負傷し、花園のピッチには立てない。部の主将だが、大会中はチームメートが代わりを務める。それでも初の頂点を目指すチームのため、練習を献身的に支え、仲間を鼓舞し続ける。そんな精神的支柱の姿に、選手たちの心はかつてないほどまとまっている。 笹岡選手は5歳でラグビーを始めた。8歳上の兄海斗さん(現リーグワン・広島)の影響だった。京都成章に進学したのも、OBである兄への憧れから。ただその兄も花園では8強止まりだった。「お兄ちゃんや過去の先輩たちの分まで、自分が成章に入って優勝したい」Advertisement度重なるけが しかし入学後は、度重なるけがに苦しむ。1年夏には右膝の半月板損傷の大けがをした。復帰には1年を要した。昨秋の府予選決勝、宿敵・京都工学院戦の前にも左肩を脱臼。試合には出場したが、2点差を追う終盤、決まれば同点となるキックを外した。10大会続いていた花園への切符を逃した。 新チームでは主将となり、今春の全国選抜大会で準優勝。自身は高校日本代表候補にも選ばれ、名実ともに大黒柱となった。ただ大会中に右肘を脱臼し、決勝の舞台には立てなかった。監督に代わってタックルの練習を見守る京都成章の笹岡空翔選手=京都市西京区で2025年12月18日午後4時6分、資野亮太撮影 春の傷がようやく癒え、夏には練習を再開。しかし9月、左膝をけがした。またも半月板損傷だった。直感した。「花園に出られないかもしれない」。憧れの舞台に立つ夢が遠のいた。 手術をすると決めた日は、ラグビーや花園が関連する映像を見ることができなかった。「純粋に悔しかった」。でも心までは折れなかった。けがをした日も「僕が抜けたらチームに動揺を与えてしまう」と、痛みに耐えながら練習を最後までこなしていた。陰からチーム支え 強い責任感で気持ちを切り替え、覚悟を固めた。「プレーすることはできなくても、縁の下の力持ちとして、チームを支えて日本一にすることはできる」練習中、部員たちに言葉をかける笹岡空翔選手=京都市西京区で2025年12月15日午後5時、資野亮太撮影 雨が舞う、11月の府予選決勝。松葉づえ姿でピッチサイドから、仲間たちに声を掛け続けた。昨年惜敗した京都工学院を破り、歓喜の輪に加わった。 花園に向けた練習では、監督と手分けして選手たちの様子を見ながらメニューを提案してきた。練習中も全体を見渡し、ことあるごとに選手を集めて声を掛ける。関崎大輔監督は「絶対にさぼらへんし、陰でよう動く。メンバーを外れてしまった子にも声かけて手を差し伸べられる」と信頼を寄せる。「空翔を日本一の主将に」プラカードを手に開会式に臨み、チームメートと笑顔を見せる京都成章の笹岡空翔選手(右)=東大阪市で2025年12月27日午前10時20分、資野亮太撮影 選手たちも思いは同じだ。今秋、膝のケガから復帰したWTB篠颯太郎選手(3年)は「いるだけで安心できる存在」と言えば、SO岡元聡志選手(同)も「空翔自身が一番悔しいはずなのに、今でもチームに貢献してくれている」と感謝する。選手たちは口々に言う。 「空翔を日本一の主将にしたい」。思いは一つになった。 最高成績である準優勝を超えるための戦いが始まる。笹岡選手は「このチームを日本一に導くことが最大の恩返し。最後まで自分ができることを精いっぱいやる」と誓う。 まだ見ぬ景色を見るために、最後まで先頭に立つ。【資野亮太】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>