駅伝365毎日新聞 2025/12/30 07:00(最終更新 12/30 07:00) 有料記事 2381文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷出雲駅伝のレース後、支援コーチの佐藤尚さん(右端)らと話し込む東洋大の酒井俊幸監督(右から2人目)=島根県出雲市で2025年10月13日、岩壁峻撮影 東洋大の監督を2009年春から務めてきた酒井俊幸さん(49)。3回の総合優勝などの実績に加え、理知的な言動で駅伝ファンからも支持を集める。 そんな名将の選手、指導者としての原点を振り返る際、この人抜きで語ることはできない。 東洋大の元監督で現在は支援コーチを務める佐藤尚(ひさし)さん(72)だ。 かつての師弟は今、東洋大の立て直しへ向け、同志として取り組んでいる。【岩壁峻】 東洋大元監督の佐藤さんが語る「酒井監督の原点」を2回に分けて配信します。 前編:出会いは30年以上前「目を真っすぐに……」 後編:酒井監督実現へ尽力、「鉄紺」カラーへの思い必死の勧誘「酒井俊幸という生徒は……」 東洋大OBの佐藤さんが母校の監督に就任したのは、今から30年以上前の1994年7月のことだ。 当時の東洋大は、箱根駅伝でシード権に届かない時期が続いていた。 夏だったため、高校3年生の有力選手の多くは既に進学先を決めてしまっていた。 勧誘活動で頼りになったのは、つながりだった。 東洋大卒業後、故郷の秋田県内の商社に勤務しながら、母校の秋田工高でコーチを務めてきた。大会などで他校の指導者と親交があったため、まず、東北地方の高校を中心に回った。 佐藤さんの目に留まったのが、福島・学法石川高だ。 2025年12月の全国高校駅伝で大会新記録をマークして初優勝したチームとして記憶に新しいが、90年代は全国的に知名度の高い学校ではなかった。 しかし、卒業生の潜在能力の高さは耳に入っていた。当時、学法石川高の3年生だった酒井さんの評判も東北の関係者から聞いていた。 福島県石川町にある学校に酒井さんを訪ねた。すると、こう返された。 「すみませんが、酒井俊幸という生徒はいません」 佐藤さんが苦笑交…この記事は有料記事です。残り1639文字(全文2381文字)【次の記事】酒井監督実現へ尽力した恩師、東洋大「鉄紺」カラーへの思い/後編【前の記事】「自分に期待しない」元青学・山下り小野田がラスト駅伝前に語る思い関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>