映画の推し事:悲劇から45年 明かされた“ジョン・レノン死す”スクープの攻防

Wait 5 sec.

「夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩」Ⓒ2025 BORROWED TIME THE MOVIE LIMITED あの忌まわしい事件から45年がたつ。世界中に衝撃が走った1980年12月8日。どれだけ多くの人々がショックを受け、立ちすくみ、泣き崩れたことだろう。私もその一人だった。 日本時間9日火曜日、午後2時過ぎ。青山のオフィスにいた私に1本の電話が入った。ジョン・レノンを敬愛する先輩からだった。Advertisement 「ジョンが撃たれた……」。胸の奥から絞り出すような声だった。「ラジオをつけてみて」。ラモーンズのカセットを止めて、ラジオに切り替える。 聞こえたのは「元ビートルズのジョン・レノンがニューヨークの自宅近くで撃たれ、死亡したもよう……」と告げる声。その瞬間、まるで世界中の時計という時計が止まり、人々の動きも車も地下鉄も飛行機もストップして、真空の中に放り込まれたような感覚に陥った。 ラジオはその日、「イマジン」や「ダブル・ファンタジー」を流し続けた。とめどなく涙があふれて、止まることがなかった。数時間後、ぼうぜんとしながら泣きはらした顔を上げて、ふと窓を開ける。 その日の東京は見事な快晴だった。いつになく赤々とした夕焼けが西の空を燃えるように染め上げていた。ステージデザインは葛飾北斎?「夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩」。レコーディングスタジオTHE HIT FACTORYの前のジョン・レノンとオノ・ヨーコ=1980年 Ⓒ 2025 BORROWED TIME THE MOVIE LIMITED ジョン・レノンがこの世を去って半世紀近くがたとうとしている今年、ドキュメンタリー映画「夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩」が封切られた。 ジョンと関わりのあったミュージシャン、ジャーナリストや作家、そしてジョンを育てたミミおばさんまで、たくさんの人物が次々登場し、各自の目線でジョンとの出会いやエピソード、ビートルズ時代の話などを矢継ぎ早に語っていく。 その年、アルバム「ダブル・ファンタジー」を5年ぶりにリリースしたジョンは、ツアーを計画していた。そう伝えるのは、デビッド・ボウイのギタリストで知られ、「ダブル・ファンタジー」に参加したアール・スリック。 さらに、あるジャーナリストはジョンが描いたステージデザインは斬新だったと語り、そのアイデアがスクリーンに映し出される。それは、荒波と富士山を描く葛飾北斎の「冨獄三十六景 神奈川沖浪裏」を思わせた。国外追放図ったFBIとの闘い ある英国のジャーナリストは、ジョンから「ビートルズを脱退することにした。でも公表するのはもう少し待ってほしい」と言われ、発表を控えるうちに、ポール脱退のニュースが先に流れてしまったと話す。 別のジャーナリストは、ジョンと前衛芸術家のヨーコ・オノのベトナム戦争反対デモに始まる平和活動について語る。 ジョンとヨーコは69年に結婚し、平和を訴えるアートパフォーマンス「ベッド・イン」で世界に強烈な印象を残した。71年には「Happy Xmas(War Is Over)」や「Power to the Pepole」を発表、ベトナム戦争に反対するデモに積極的に参加し、2人は反戦運動の象徴的存在となっていく。 一方、ニクソン政権は、72年の大統領選挙を前に18歳への選挙権拡大を進めており、若者に大きな影響力を持つジョンの存在を脅威と見なしていた。 政権はFBIを通じてジョンを監視・盗聴し、過去の大麻所持歴を口実に国外追放を図るという強硬な手段に出る。しかしジョンは法廷で争い続け、その闘いの末、75年にアメリカの永住権を勝ち取った。「夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩」。オノ・ヨーコ、ジョン・レノンとリンゴ・スター=1976年Ⓒ 2025 BORROWED TIME THE MOVIE LIMITED「信じられるか、ジョン・レノンだぞ」 音楽と行動によって、真正面から時代に向き合い、平和を訴え続けた2人の姿勢は鮮烈で、多くの若者の共感を呼んだ。 映画の前半で語られる多くの情報は、ジョン・レノンのことをよく知っている人にとっては、決して目新しいものではないだろう。 けれども、登場人物たちが目を爛々(らんらん)と輝かせ、時代のヒーローだったジョンをそれぞれの視点で語る姿は興味深い。ジョンを知らない世代であれば、彼に関する本を何冊か読んだかのような充実感を覚えるはずだ。 映画の後半に入ると、語られる内容は一気に緊迫していく。 事件当日にインタビューをした直後、犯人から声をかけられた女性記者や、ジョンが銃撃された瞬間に近くにいた人たちによる証言が語られ始める。 事件が起こったその時、銃声はダコタ・ハウスの中庭に反響し、長く響き渡った。 「その残響音は、ニューヨークで起きる銃撃事件で耳にする音とは違っていた」と、ダコタ・ハウス12階に住む画家は語る。 ヨーコはすぐに車でポリスボックスに知らせに走った。5人の警官が現場に駆けつけると、ジョンは車に乗せられ、ヨーコと共に病院へ搬送された。 続いて登場するのは、アメリカABCニュースのプロデューサー、アラン・ワイスである。事件の夜、彼はバイクでセントラルパークを走行中に事故に遭い、ルーズベルト病院へ運び込まれた。 ベッドに横たわり医師を待っていると、突然周囲がざわめき、警官に付き添われたもう1台のベッドが運び込まれてきた。その時、警官同士の会話が耳に入る。 「信じられるか、ジョン・レノンだぞ」「使命果たしたい」訴えた記者 思わず聞き返すが、警官は何事もなかったかのように取り合わず、ほどなく病院を後にした。彼は、これは会社に伝えなければならないと直感し、近くにいた清掃員に名刺とチップを渡して電話連絡を頼んだが、うまくはいかなかった。 しばらくして院内にビートルズの「オール・マイ・ラビング」が流れた。その瞬間、彼はジョンが亡くなったことを悟ったという。 使えそうな電話は、廊下の壁に設置された職員用の電話だけだった。そこへ現れた女医に電話を使わせてほしいと頼むが、患者をベッドから降ろすことはできず、その電話は暗証番号が必要だと断られる。 彼は、医師が理想を胸に人命を救おうとするように、自分もまた理想のジャーナリストとして使命を果たしたいのだと必死に訴えた。「上の方にいる誰かが見守っている」「夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩」。逮捕されたジョン・レノン=1968年10月18日Ⓒ 2025 BORROWED TIME THE MOVIE LIMITED しばらく沈黙が続いた後、彼女はこう言い残してその場を離れた。 「X線の準備ができたか確認してくるわ。あなたは動かないでしょうし、暗証番号が113だなんて知らないでしょうし。10分後に戻ります」 彼は足を引きずりながら壁際まで歩き、その番号を入力してチャンネル7へ電話をかけた。こうしてジョン・レノンの悲報は、瞬く間に世界中へと伝えられたのだった。 偶然その場に居合わせた1人の人間が、世界史的な瞬間の媒介者となったこのエピソードは、実に印象的だ。 また本作では、有名なジョンの言葉にも出合う。 「社会は狂人たちによって狂った目的のために運営されている。僕はそのことをいろいろな形で人生を通して表現してきた」 「恐れる必要はないよ。上の方にいる誰かが見守ってくれている。60年代は気配の段階で、朝、目が覚めたところだ。まだ夕食の時間にもなっていない。楽しみだよ」日本文化、暗殺の真相……描かれなかったこと このドキュメンタリー映画では多くの人々がジョンについて語るけれど、残念なことに触れられていない点が二つある。 ひとつは、ジョンが日本文化を深く愛していたという事実。ジョンは、「俳句は最も美しい詩だ」と語るほど俳句や禅を深く理解していた。 俳人の松尾芭蕉、小林一茶、禅僧で画家の白隠や良寛を好み、独裁や中国の文革を嫌い、日本の「和」を愛した。その影響は曲「アクロス・ザ・ユニバース」をはじめ、アルバム「ジョンの魂」「イマジン」に表れている。 二つ目は、なぜジョンは暗殺されたのかという点である。これについては、最近出版された「ジョン・レノン 運命をたどる」(青木富貴子著)に詳しい。著者は刑務所内の犯人に直接面会し、犯行動機についての証言を得ている。 この地球上の何十億もの人々に「愛」と「夢を見る」ことの大切さを伝えた偉大な魂の持ち主、ジョン・レノン。 21世紀になってもなお戦争が続くこの時代に公開されたこのドキュメンタリー映画を通して、彼の存在を改めて確認し、もう一度、ジョンのメッセージに耳を澄ませてほしい。そしてジョンのこの言葉を思い出してくれたら幸いだ。 「一人で見る夢はただの夢。みんなで見る夢は現実になる」(北澤杏里)