毎日新聞 2026/1/2 07:00(最終更新 1/2 07:00) 有料記事 2417文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷熊本地震当時の状況を語る東海大副学長の木之内均さん=熊本県南阿蘇村の東海大旧阿蘇キャンパスで2025年12月9日、金澤稔撮影 「にぎやかだったんですよ」。熊本県南阿蘇村の東海大旧阿蘇キャンパスで、木之内均副学長(64)は、多くの学生が学業や課外活動にあけくれた日々を懐かしんだ。足元には、地表をはうように現れた断層の一部が生々しく刻まれる。 観測史上初めて最大震度7を2度観測した2016年4月の熊本地震で、活断層の真上にあった3階建て校舎は大きな被害を受けた。今も残る、鉄筋がむき出しになった柱や、ぐにゃりと曲がった金属製の窓枠が揺れの激しさを物語る。 校舎は、地震の記憶を継承するため熊本県によって震災遺構として整備され、断層の露出部分とともに保存されている。隣には拠点施設である震災ミュージアム「KIOKU(キオク)」も23年に開業。県内では、崩れた橋や道路などの遺構が58件登録されている。 だが、学内には震災直後の対応などを残した「記録」はない。時間がたっても色あせない、深い悲しみがあったためだ。 当時キャンパスには学生約1000人が通い、うち約800人が校舎から歩いて数分ほどの「学生村」と呼ばれるアパートなどが建ち並ぶ地区に下宿していた。だが、一帯で震度6強を観測した「本震」で学生村は壊滅的な打撃を受け、学生3人が犠牲となった。 「地面はでこぼこで、家はことごとく潰れていた」。学生村近くに住んでいた木之内さんはすぐに駆けつけたが、変わり果てた光景に言葉を失った。レスキュー隊らによって多くの学生は救助されたが、なかには、余震が続くなかで長時間閉じ込められた結果、心に傷を負った学生もいた。残せなかった震災の「記録」 その後、キャンパス機能は熊本市内に移転し、地震に関する話題は「封印」された。木之内さんは「記憶がフラッシュバックする学生もいる。『授業でも地震のことは一切言うな』という状況だった」と振り返る。学生が前を向ける環境を作る。その一心だった。 地震から6年後の22年。地域防災が専門の安部美和准教授(47)が東海大に赴任し災害対応に生かそうと探したのが、大学の震災対応に関する資料だった。 特任助教だった熊本大(熊本市)時代に熊本地震に遭遇し、避難所の運営などに携わった。その際の行動経過や改善点を記録として残し、行政や大学に向けた提言も盛り込んだ。 だが、東海大では地震の対応に関する報告書などはほとんどなく、授業で地震について話をしても、先輩に死者が出たことすら知らない学生もいた。「このままだと、大…この記事は有料記事です。残り1412文字(全文2417文字)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>