駅伝365岩壁峻円谷美晶毎日新聞 2025/12/31 07:00(最終更新 12/31 07:00) 有料記事 4109文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷対談するHondaの小川智監督(右)と中央大の藤原正和監督=埼玉県狭山市で2025年10月16日、手塚耕一郎撮影 2026年の陸上界は、正月恒例の全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)と箱根駅伝で幕を開ける。 直近4回のニューイヤー駅伝で優勝2回、2位2回の強豪Hondaの小川智監督(47)と、箱根駅伝で歴代最多14回の総合優勝を誇る名門・中央大の藤原正和監督(44)。 中大の先輩、後輩で師弟関係の2人が初めて対談形式の取材に臨んだ。 後編では、藤原監督がHondaを離れて中大の指揮を執るまでの日々を振り返った。【構成・岩壁峻、円谷美晶】 Hondaの小川監督、中大の藤原監督の対談を2回に分けて配信します。 前編:「師弟関係」の原点は 後編:「監督・藤原正和」が生まれるまで藤原監督「小川さんの練習はえげつない」 小川監督に活を入れられて迎えた08年のニューイヤー駅伝で、藤原監督は最終7区で区間賞の快走でチームの3位に貢献した。 再浮上のきっかけをつかむと、10年の東京マラソンを制し、フルマラソン初優勝を果たした。 小川 やはり、東京マラソン優勝は一番思い出深いですね。藤原監督には学生時代から「世界を目指せ」と言っていました。性格上、目標は高い方が良いと考えてのことです。この優勝で、改めて世界を目指す手応えをつかんだ記憶があります。 藤原 当時、私は28歳。選手としては晩年ですが、月日がたつにつれて小川さんの指導の「引き出し」が増えていった印象があります。 私以外でも、10年代は(16年リオデジャネイロ・オリンピック代表の)石川末広さんらマラソンで活躍する選手が増えてきました。今でも石川さんと当時のことを「小川さんの指示する練習は、えげつなかった」と振り返ることがあります。 30歳前後の私たちに1日2回、(強度の高い)ポイント練習を課したことがありました。 現在、トップ選手で同じような練習が流行していますが、当時マラソン選手にそのような練習をさせるチームはありませんでした。 「無理だ」と思いながらやっていましたが、結果が出るので、「これが正解なんだな」と思いました。 小川 まだニューイヤー駅伝で優勝を目指せるようなチームではなかったので、まずはマラソン選手を育てることで駅伝を戦おうと考えていました。 藤原監督を軸に各区間のオーダーを組み立てれば、ある程度レースはまとまります。マラソンを見据えた強化が駅伝につながりました。中大に呼ばれ「今の母校の課題は?」 30歳を過ぎ、競技者として岐路に立ちつつあった藤原監督に中大から声がかかったのは、15年春ごろのことだった。低迷していた母校の立て直しを打診された。 藤原 大学側からOBの大志田(秀次)さん、小川さんとともに「今の母校の課題について話してほしい」と会議に呼ばれました。最初は自分が指導者になる、という具体的な話は上がっていなかったと思います。 私自身は、リオデジャネイロ…この記事は有料記事です。残り2933文字(全文4109文字)【前の記事】酒井監督実現へ尽力した恩師、東洋大「鉄紺」カラーへの思い/後編関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>