ラッパーの比嘉・ジュニオール・ヘススさん=川崎市川崎区で2025年11月24日午後3時34分、矢野大輝撮影 川崎市のラッパー、比嘉・ジュニオール・ヘススさん(38)は、沖縄とペルーにルーツを持つ。音楽や社会活動を通じて、排外的な言説が広がる現代への危機感などを訴えてきた。自身のつらい経験も吐露しながら、人々に問いかける。「こんな世の中でいいんですか」――。幼少期からいじめ 昨年9月下旬、差別や排除をなくそうと市民らが川崎市で開いたパレードで、ヘススさんはマイクを握っていた。Advertisement <多文化共生社会なんて ただの塗り絵> 実像を伴わないスローガンばかりが広がる社会。そんな状況を皮肉るような、抽象的ながら力強い言葉の数々が会場の公園に響き渡った。 ヘススさんの母はペルー人で、父は沖縄にルーツを持つ。2歳の頃、沖縄から川崎に移住。ヘススさんも川崎区の保育園に入った。 家ではスペイン語を話していたため、園では日本人の友達との会話にうまく参加できなかった。当時の記憶を赤裸々につづったのが、自身の曲「mi testamento」(私の遺言)だ。 <4歳で保育園 出たくない園庭 純粋な差別 理解したよ軽蔑> 保育園では「外国人あっちいけ」と言われ、砂をかけられた。小学校の校庭に立つ6歳の頃の比嘉・ジュニオール・ヘススさん=本人提供 小学校に入るといじめがエスカレート。ほおに画びょうを刺され、石で頭を殴られたこともあった。暴力を受ければやり返すようになり、高学年になるといじめは減って友達も増えた。 自らを守るための暴力だったが、それは不良少年としての歩みにもつながった。中学では更にけんかが増え、悪さもした。先輩から「10分以内にバイクを盗んでこい」と命令され、できないと罰としてオイルを飲まされた。 それでも、かつてのいじめの日々よりはましだった。 <友ができた すごくうれしかった この国も捨てたもんじゃない 卒業式ふざけた 涙こらえるため>(同曲から)ヒップホップとの出会いラッパーの比嘉・ジュニオール・ヘススさん=川崎市川崎区で2025年11月24日午後5時53分、矢野大輝撮影 けんかを理由に鑑別所に入った時、初めてノートに詞を書いた。いじめから守ってくれた家族への感謝などが自然と字になった。 <ささくれた指なだめてペンを執った 手差し伸べてくれた人たちありがとう>(同曲から) 高校を中退後、17歳の頃にヒップホップと出会った。知人に連れて行かれた東京・新宿のライブで、ラップを聴いて衝撃を受けた。 「恥ずかしいことも何もかも、自分の言葉で全部書けるんだ」。暴力を捨て、言葉で戦おうと決めた。「ヘイト」根絶を それから20年以上。ヘススさんは川崎を拠点に音楽活動を続けてきた。これまでに60曲以上をリリースし、ライブ活動に励んでいる。 最近は、他の社会活動へも参画するようになった。多文化共生を扱う大学の講義に呼ばれ、学生を前に半生を話すこともある。 音楽活動と共通するのは、人々に命の尊さについて「考えるきっかけを与えたい」という思いだ。差別は人の心を傷つけ、自ら死を選ぶなど「人を殺す」ことにもつながる。「そんな世の中でいいの?と問いかけたいんです」比嘉・ジュニオール・ヘススさん=本人提供 過去のいじめ体験から時がたち、世の中は変わったのか。ヘススさんはむしろ危機感を覚えている。 政治の世界や交流サイト(SNS)では排外主義的な風潮が急速に広がる。ヘススさん自身も最近、道を歩いていると知らない男性から突然「外国人帰れ!」と暴言を浴びせられた。 自身が遭ったいじめは、子ども同士の話だった。しかし今は、大人も差別に加担する状況に拍車がかかっているように見えるという。 「ヘイトが広がる光景を、将来の子どもたちに見せたくないですよね。誰もが生きやすい世の中になってほしいです」 活動はこれからも続けるつもりだ。【矢野大輝】