「ビールかけ」の起源とは? ソフトバンクの前身チームに由来

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第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝で米国を破り、シャンパンファイトで喜ぶ大谷翔平(中央)ら選手たち=米マイアミのローンデポ・パークで2023年3月21日(代表撮影) 福岡ソフトバンクホークスが日本一となった日本シリーズだが、優勝チーム恒例の「ビールかけ」にシャンパンを代用する動きが広がっている。サイバー攻撃に端を発したアサヒグループホールディングス(HD)のシステム障害でビールの供給に影響が出ているためだ。ビールかけの源流を探ると、半世紀以上前の「南海ホークス」のある選手の行動にたどり着いた。野球史に詳しい名城大の鈴村裕輔教授(比較文化)に聞いた。【聞き手・平川昌範】 ――プロ野球界の「ビールかけ」はどのように始まったのですか。 ◆1959年、福岡ソフトバンクホークスの前身である南海ホークスがパ・リーグで優勝を果たした際、定宿のホテルで祝賀会がありました。チームのメンバーだったハワイ出身の日系米国人、カールトン半田選手は気持ちが高ぶり、優勝に貢献した杉浦忠投手に持っていた瓶ビールを逆さにして頭からかけました。当時は飲み物をかける文化はなく、取材に来た記者たちもそうした場面を警戒していなかったのでしょう、その時の写真はまだ見つかっていません。Advertisement 突然の大胆な行動に周囲は驚きましたが、その様子は話題となり、その後に南海ホークスが読売ジャイアンツを破って日本一になった時もビールかけが行われ、各球団に広がりました。 ――カールトン半田選手の行動にはどんな背景があったのでしょう? ◆米国のカレッジスポーツや大リーグでは「シャンパンファイト」としてシャンパンをかけ合う文化が50年代には定着していました。カールトン半田選手はそうした慣習を思い出したのでしょう。1959年の日本シリーズで優勝し、チャンピオンフラッグを手に後楽園の場内を一周する南海ホークスの鶴岡一人監督(右)とホークスナイン 19世紀になって普及したシャンパンは、以前から高価で高級なものです。自動車のF1などでも使われるように、勝利という最高の喜びを分かち合うためにふさわしい飲み物で、見た目にも華やかなので、特別な機会にかけ合うことで非日常を演出することができたのです。 ――ビールかけが広がった当時の時代背景は? ◆59年に長嶋茂雄さんが「天覧試合」でサヨナラホームランを打ちました。それまで東京六大学野球の方が格上でしたが、プロ野球が逆転して国民的スポーツとして盛り上がっていきます。 朝起きたら前日の試合結果を新聞で確認し、職場で話題になる。帰宅すればテレビで野球の試合を見る、そんな生活が広がりました。こうした中、ビールかけは国民の間でも喜びの象徴的なシーンとして受け入れられるようになるのです。 ビールかけは一見すると大人が子どものように遊んでいるように見えますが、高度経済成長期にはプロ野球界は長嶋さんに代表されるように明るく前向きでおおらかなイメージがあり、こうした世相ともマッチして肯定的に受け入れられたのです。 また、野球観戦といえばビールというイメージがあるように、以前から球界とビールは親和性が高く、飲料メーカーがスポンサーになるなどして、一体になって普及してきました。飲料メーカーとしてもビールかけに使われることで宣伝にもなります。プロ野球界の「ビールかけ」についてオンラインで語る名城大の鈴村裕輔教授=2025年10月30日 ――今季はトラブルからビールの供給が滞り、シャンパンが代用されています。 ◆日本のプロ野球界では記憶になく、例外中の例外でしょう。ただ、ビールの「代用品」とはいえ、カールトン半田選手がビールかけを始めた背景にはシャンパンファイトがあったわけなので、ある意味で王道であり原点回帰ともいえます。 また、シャンパンが持つ普遍的な価値が今も変わっていないということでもあります。優勝チームがシャンパンをかける文化は、スポーツ全体で見ると1930年代には米国やフランスで行われていました。考えてみると、それから1世紀、シャンパンの位置づけは不変ということなんです。 ――水を差すわけではありませんが、一部には「もったいない」という声もあるようです。 ◆ビールかけを巡っては、実は80年代から「けしからん」「無駄だ」という意見がありました。70年代後半以降、特にアフリカの食糧不足が注目されたことも背景にあります。一瞬の楽しみのためにビールを大量に消費するのはけしからんというわけです。 しかしそれでも続いてきたのは、その時しかない最高の瞬間を「ハレの席」として祝いたい、羽目を外してもいいじゃないかという「ハレとケ」の文化的土壌があるのではないでしょうか。 時代の変化や価値観の変化とともに、形式は多少変わるかもしれませんが、喜びを表現したい、共有したいという気持ちは時代や地域問わず今後も変わらないでしょう。