多党化ニッポン毎日新聞 2025/10/15 06:00(最終更新 10/15 06:00) 有料記事 3378文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷街頭演説に臨む立憲民主党の小川淳也幹事長=東京都目黒区で2025年6月27日午後5時44分、藤井達也撮影 交流サイト(SNS)で多様な民意が可視化され、それを反映するように日本の政治が「多党化」し、不安定さを増している。衆参両院が少数与党という経験のない事態に、野党第1党はどう対峙(たいじ)してきたのか。9月まで1年間、立憲民主党の幹事長を務めた小川淳也衆院議員(54)が毎日新聞のインタビューに応じ、その葛藤を語った。【聞き手・安部志帆子、田中裕之】つまずきは首相指名選挙から ――この1年を振り返って、幹事長として何が難しかったか。 ◆悩んだ場面しかなかった。まず、最初の首相指名選挙で、野党の足並みがそろわなかった。党首会談を呼びかけて各党に野田佳彦代表への首相指名をお願いした。しかし、石破茂首相と野田代表の決選投票で、複数の政党が2人以外の名前で投票し、無効票は84票に達した。 せっかく少数与党に追い込んだのに、最初にして最大の決定打を浴びせることができなかった。野党第1党のリーダーシップの問題だという批判は受け止めたいが、これだけ多くの無効票を許していいのか、無責任ではないか、という強い憤りが今なお残っている。 ただ、後に党内のベテランから「最初は野田氏の名前を出すのではなく、野党統一候補で行こうと言わないといけない」と指摘された。他の野党に十分配慮した言い方なり、やり方があったんじゃないか、その点については痛切に反省している。 二つ目の葛藤は2025年度予算の採決のときだ。当時、高額療養費の負担上限額引き上げを巡り、全面撤回を求めて野田代表が戦闘モードに入ることを宣言していた。衆院で予算の採決に応じるか応じないか、いつどのような環境のもとで応じるかは、国会序盤における野党第1党のプレゼンス(存在感)の発揮のしどころとして、大きな節目だった。 ここは強硬論をとるべきではないか、と私は感じていたが、当時の予算委員会の現場や、国会対策委員会など与野党折衝の前線から伝わってくる、採決に応じざるを得ないという判断を結果として尊重することになった。今振り返れば、ここはもうちょっと踏ん張れたのではないか、という反省、振り返りがある。大胆なプレゼンス発揮できず ――小川さんから野田代表や予算委、国対メンバーに「戦うべきだ」と訴えなかったのか。 …この記事は有料記事です。残り2446文字(全文3378文字)【前の記事】激化する「公明争奪戦」 各党接近、多数派工作へアピール合戦関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>