「山登りは生きること」 埼玉の冒険家、ビンソンマッシーフに挑む

Wait 5 sec.

冒険家の市川高詩さん=埼玉県横瀬町で2025年9月30日、高木昭午撮影 世界7大陸の最高峰のうち6峰の登頂を果たし、一昨年にはエベレスト(8848メートル)の山頂で埼玉県横瀬町の旗を掲げた冒険家の市川高詩さん(40)。町の「地域おこし協力隊」の一員として町観光協会で山歩きのガイドなどを務め、最後の7峰目となる南極の「ビンソンマッシーフ」(4892メートル)への登頂を目指している。挑戦を続ける思いに迫った。【高木昭午】 ――山登りはいつから? ◆25歳で鹿児島・屋久島の宮之浦岳に登りました。それまで登山経験は全くありません。会社を辞めて自転車旅行で日本一周をしている時に屋久島に寄り、宿のおかみに勧められてジャージー姿で同宿の3人と登りました。Advertisement 感動しました。きれいな景色が突然がらっと変わるのです。こけむした木々が並び縄文杉が生える場所を歩き、別の斜面に移ると、岩ばかりで木は少なくなる。避難小屋で1泊した緊張感も良かった。取りつかれたように次々と登りました。 ――なぜ自転車で日本一周を? ◆仕事で行き詰まりました。東京でアパレル系の会社に勤めており、テーラー(仕立て職人)として舞台衣装を作りたかった。でも担当は営業でした。そこでゴールデンウイークに旅に出て、自転車旅行の人やギターを弾きながらヒッチハイクする人に出会いました。「自由に生きていいんだ」と思えて、酒場でのギター演奏などで資金を稼ぎながら自転車旅行を始めました。 --その途中に山登りをしたんですね。 ◆1年半ほどかけた日本一周で20カ所くらい登りました。北海道の羊蹄山や秋田・山形県境の鳥海山などです。登山技術が低く装備も不十分でしたが、「今登らないと一生登れない」との思いで登っていました。 ――どこで本格的に登山を学んだのですか。 ◆2011年、北海道の礼文島で島内ガイドとして就職し、1カ月間の研修でトレッキングや島の植物を学びました。会社の先輩から登山技術を教わり、休日に利尻山に登り、大雪山系の縦走もしました。 12年秋に東京に戻り、新しい会社に勤めて冬山の練習を始めました。「世界の山に登りたい。まずはマッキンリー(デナリ、6190メートル)だ」と思ったからです。冬の北アルプスや八ケ岳で崖や氷の壁を登りました。登山好きだった父が「一人では危ない」と一緒に来てくれました。 ――そして北米最高峰のマッキンリーに挑戦しました。 ◆初の海外登山で、登頂は14年6月です。死にかけましたね。道に何回か迷いました。あたりは雪に覆われた氷河で氷の割れ目であるクレバスが隠れている。落ちたら死にます。そこへ霧が出て動けなくなった。たまたま他の隊の声が遠くから聞こえて助かりました。 登頂は感無量でした。「雪山で泣くと目が凍る」と言われていましたが凍りませんでした。 ――さらに世界の山に挑むわけですね。 ◆15年に自転車で世界一周に出ました。ニュージーランドで1年間のワーキングホリデーを過ごして資金を調達。16年にアラスカに渡りマッキンリーに2度目の登頂。下山して北極海の近くまで行った後、南米最高峰のアコンカグア(6961メートル)を目指しました。 ――ずっと自転車だと大変では? ◆1日100キロが限界です。砂漠だとタイヤが埋もれ10キロ未満でした。しかも17年にメキシコで強盗に遭い旅を中断。いったん帰国し、資金調達のためオーストラリアで働きました。ここで同大陸最高峰のコジアスコ(2228メートル)に登頂しました。18年に南米の旅を再開。アコンカグアに登頂したのは19年2月でした。 19年7月にアフリカ最高峰のキリマンジャロ(タンザニア、5895メートル)に登頂。同9月から翌20年2月にかけて、欧州最高峰との説が分かれるモンブラン(フランス・イタリア、4810メートル)とエルブルース(ロシア、5642メートル)に登頂しました。 ――23年5月のエベレスト登頂時は横瀬町旗を掲げたそうですね。町との縁は。エベレストの山頂で横瀬町旗を広げる市川高詩さん(右端)=2023年5月、本人提供 ◆もともと武甲山が好きで、よく訪れてガイドを務め、町の人と交流がありました。その中で町長から「旗を持って行って」と言われたのです。 今年5月に地域おこし協力隊員になり、山歩きツアーの企画やガイド、山道の手入れなどをしています。山の安全に関われて、やりがいがあり充実した仕事です。 ――残るは南極です。 ◆現地の夏である1月しか登れません。27年1月を目標に資金を集められればと思っています。 ――最後に、山の魅力を教えてください。 ◆山登りと生きていることはそんなに変わらないような気がします。生きることに全力で向き合えます。 1985年生まれ、千葉県茂原市出身。横瀬町在住。2007年に服飾の専門学校を卒業後、アパレル関連会社や山歩きガイドを経て25年から横瀬町地域おこし協力隊員。ウェブでは「シカ男」と名乗り、仕事や登山について発信している。