有料記事武田肇2025年12月10日 7時00分ノーベル平和賞の授賞式後に開かれた記者会見で、受賞決定の瞬間に頰をつねったことを再現する日本被団協の代表委員で、広島県被団協理事長の箕牧智之さん(左)。甲斐なつきさんも高校生平和大使として同席した=2024年12月18日午後1時1分、広島市中区、上田潤撮影 広島市立基町高校3年生の甲斐なつきさん(18)は、日本被団協の平和賞の受賞をきっかけに、将来の目標を決めた。 長野県に生まれ、4歳のとき広島市に家族で転居した。 小学校で被爆者の証言を聞いたが、ビルが立ち並び緑が豊かな広島の街と結びつかなかった。 中学2年生の時。何げなく祖父母に「私って、もしかしたら被爆4世?」と聞いたことをきっかけに、広島で曽祖父が、長崎で曽祖母が被爆していた、と知った。日本被団協のノーベル平和賞受賞後の1年をふり返る甲斐なつきさん=2025年11月16日午後5時2分、広島市中区、武田肇撮影 曽祖母は14歳の時、爆心地から約1・3キロの軍需工場で被爆し、けがをしながらも一命は取り留めた。その朝、穏やかに食卓を囲んだ両親や弟2人は亡くなり、年老いた祖母に育てられた。がんを何度も患い、60代で亡くなったという。 すでに死去した曽祖父母の手記を読み、核廃絶を願う署名を集めて国連に届ける活動をする「高校生平和大使」の27代目として活動を始めた。 昨年10月11日のノーベル平和賞受賞決定の瞬間は、平和大使の一人として日本被団協の代表委員で、広島県被団協理事長の箕牧(みまき)智之さん(83)と広島市役所内で見守った。 「ニホンヒダンキョウ」。発表を中継するスマートフォンからそう聞こえた直後。隣に座る箕牧さんは自身のほおをつねって、喜びを爆発させた。ノーベル平和賞が変えた人生 核兵器廃絶を世界に訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞して12月10日で1年となる。被爆者とともにオスロであった授賞式に参加し、その後の人生が変わった人たちがいる。 「地道な草の根の活動に世界…この記事を書いた人武田肇広島総局員専門・関心分野原爆・平和、朝鮮半島、鉄道こんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ12月10日 (水)後発地震注意情報を初発表「危険運転」に数値基準案妊娠めぐる規定見直し要望12月9日 (火)感染症ODA、日本が半減へタイ、カンボジアに空爆本州で唯一クマいない千葉県12月8日 (月)中国軍機がレーダー照射公明「発祥の地」で撤退論消える「宮型」霊柩車12月7日 (日)FIFA トランプ氏に「平和賞」サッカーW杯 オランダと初戦高齢者の医療費 負担見直しへトップニューストップページへ津波警報の発表中にグーグル検索、AIが「すべて解除」と誤情報5:00レーダー照射時、自衛隊機と距離50km超 対話回線に中国応ぜず21:55「レーダー照射前の日中の艦船の交信」とする音声公開 中国メディア0:13マチャド氏の前日会見は異例の中止、授賞式も不透明 ノーベル平和賞5:00阪神タイガース90年 「殿様商売」を変えた旅行畑の球団社長6:00【更新中】青森・震度6強、負傷者51人に 初の後発地震注意情報も19:54