朝日新聞記事中塚久美子2025年12月10日 6時30分飛行機から撮影した兵庫県西宮市の甲子園球場付近。背後に見える旧海軍鳴尾飛行場と甲子園球場、右側に隣接する甲子園プールは接収された(1947年5月17日、撮影者不明)=「占領下の日本 カラーフィルム写真集」から衣川太一さん提供 連合国軍総司令部(GHQ)の占領下、米軍人らが個人的に撮影し、本国に持ち帰ったフィルムを収集している神戸映画資料館(神戸市)の研究員、衣川太一さん(55)が、「占領下の日本 カラーフィルム写真集」(草思社)を出版した。モノクロのイメージが強い戦後すぐの日本の占領史に新たなページを加えた。 焼け野原の広島市内、阪神甲子園球場付近、東京・銀座の露店――。衣川さんが集めた約1万4千枚のカラーフィルムの中から、場所や年代、被写体を特定できた100枚を収めた。 衣川さんは大学の映画学科で学び、ビデオ撮影などの仕事を経て、フィルム資料の研究をしている。占領下の日本で撮影された写真は2009年ごろ、米インターネットオークションサイト「eBay」で偶然見つけた。すでに取り壊された東京・有楽町の日劇の昭和20年代の姿をカラーで見ることができ、面白そうだと落札した。 米フィルムメーカー「コダック」のコダクロームと呼ばれるカラーフィルムで撮影されたスライド写真だった。1コマずつ、マウントと呼ばれる台紙にはめ込まれ、まとめ売りされていた。購入価格は100枚で100~200ドルだった。 出品は途切れることがなかった。衣川さんは「撮影者は占領下の日本にいる米国人。つまり、ほとんどがGHQの軍人だ」と考えた。 衣川さんによると、当時、コダクロームは一般向けに売り出されていた。そのため、写真は個人の趣味や記録としてシャッターを切られたものが多い。 占領する側の関心からレンズを向けたとみられる日本の風景のほか、各地を旅行した様子や家族との写真。そんな日常の記録だからこそ公的な写真や報道に刻まれなかった占領下の日本が、しかもカラーで残っていた。 ただ、撮影者や撮影の経緯はフィルムだけでは分からなかった。撮影者本人が亡くなり、ガレージセールなどで遺族が処分したフィルムを購入した第三者が転売したものがほとんどだったからだ。 衣川さんは、スライドが収められた箱に記されている撮影者の名前や住所、写り込んだ建物、撮影順に台紙に打刻された番号やメモなどを手がかりに、占領期文書や関連する航空写真といった資料と突き合わせ、確認していった。 「いい写真」として衣川さんが今回選んだものの多くは、軍人として進駐し、その後文官としてGHQ民事局に所属していたとされる「ヘンリー・H・ソウレン」と、首都圏に進駐した下士官とみられる「不明撮影者A」の2人が撮影したものだ。ゴミやキズの除去や退色補正をパソコンで処理し、写真集に収めた。 2020年代に入ってからは、オークションに出される写真が大きく減ったという。当事者やその家族らが亡くなったからだと考えられる。 散逸は止められない。衣川さんは「当時を記憶している人は年を追うごとに減る。大半の人が見たことのない、色がついた日本の生活風景を見ることができる貴重な記録だ」と語る。 衣川さんは共著「占領期カラー写真を読む」(岩波新書)でも、写真の読み解きなどを論じている。戦後80年第2次世界大戦では、日本人だけでも300万人以上が犠牲になったと言われています。戦後80年となる今年、あの時代を振り返る意義とは何か。全国各地のニュースをまとめています。[もっと見る]関連ニュースこんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ12月10日 (水)後発地震注意情報を初発表「危険運転」に数値基準案妊娠めぐる規定見直し要望12月9日 (火)感染症ODA、日本が半減へタイ、カンボジアに空爆本州で唯一クマいない千葉県12月8日 (月)中国軍機がレーダー照射公明「発祥の地」で撤退論消える「宮型」霊柩車12月7日 (日)FIFA トランプ氏に「平和賞」サッカーW杯 オランダと初戦高齢者の医療費 負担見直しへトップニューストップページへ津波警報の発表中にグーグル検索、AIが「すべて解除」と誤情報5:00レーダー照射時、自衛隊機と距離50km超 対話回線に中国応ぜず21:55「レーダー照射前の日中の艦船の交信」とする音声公開 中国メディア0:13マチャド氏の前日会見は異例の中止、授賞式も不透明 ノーベル平和賞5:00阪神タイガース90年 「殿様商売」を変えた旅行畑の球団社長6:00【更新中】青森・震度6強、負傷者51人に 初の後発地震注意情報も19:54