キャンパる:「優しさと思いやり」で聴衆魅了 重松清氏、母校早大で特別講義

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特別講義の直前に緊急入院したが、退院日を早めて登壇した重松清氏。「僕の言葉を待ってくれている人がいるから、体を引きずってでも行かないといけない」と語っていた=早稲田大学大隈講堂で、専修大・左近美穂撮影 早稲田大学(東京都新宿区)の大隈講堂で10月20日、直木賞作家・重松清氏(62)の特別講義が行われた。重松氏は2016年から同大で任期付き教授として教壇に立ち、今年度が早稲田で教授として過ごす最終年度となる。そんな重松氏に、任期を終えるに当たっての感想や講義では伝えきれなかった話を伺った。【早稲田大・竹中百花(キャンパる編集部)】幅広い世代の聴衆を前に 一夜限りの特別講義「それでも僕らは、ことばでつながっている」は、約1時間半にわたって行われた。前半は事前に寄せられた質問に重松氏が答えていき、後半は普段大学で行っている授業を、公募で集まった1000人を超える聴衆の前で実際に行うという形式で行われた。Advertisement 会場は2階席まで満員で、小学生くらいの小さな子どもからつえをついたお年寄りまで、幅広い年齢層の人々が集まっていた。重松氏によれば、中には京都から親子で足を運んできたという人もいたそうで、作品が年齢を問わず長く愛され続けていることを実感した。さらに、席を見渡すと真剣にメモを取る人々の姿も見られ、重松氏の言葉が持つ影響力を強く感じた。特別講義の中で「メルカトル図法の世界地図では南極大陸がなかったことにされがちです。でも地図を変えれば、大きくなったり小さくなったりします。視点が変われば見えるものは変わるんです」と話した重松清氏=早稲田大学大隈講堂で、専修大・左近美穂撮影大事にしてきた「距離感」 特に印象的だった場面を講義に来ていた学生らに聞くと、多くが“優しさと距離感”についての話を挙げてくれた。「先生にとっての優しさは何か?」という質問に対し、重松氏は「ヤマアラシのジレンマ」という哲学者ショーペンハウアーが用いた例え話を引用して、「距離感を大事にすること」と述べた。 「人間同士で距離があるからこそ、友人や恋人といった関係が築かれていく。でも近すぎるとお互いが苦しくなってしまうし、遠すぎても寂しくなってしまう」。重松氏はそう話した上で、「だから適度な距離感を保って接することが大事なのだと思う。そして、その距離を調整するために、僕たちは言葉を使うんじゃないかな」と、目を細めながら、穏やかな声でそう語った。 講義後、改めてその話を伺うと、距離感を大事にしてきた背景についても語ってくれた。そこには幼少期から積み重ねてきた経験が元にあるという。「根っこの所に常にアウェー感がある。転校を繰り返してきたから、友達ができても話に入れない瞬間があったり、ある種の無常観のようなものを感じたりしてきた。だから人一倍、今この人とはどういう距離感にあるのかというのを気にしていて、それが作品にも日常生活にも反映されている」と語った。小学生の時の卒業文集をスクリーンに映し、「先生と作家になることが夢だと書いていたんですよ。吃音(きつおん)があって先生になることを実は一度諦めているけど、最後こうして早稲田で先生をできてよかった。後悔はありません」とうれしそうに話す重松清氏=早稲田大学大隈講堂で、専修大・左近美穂撮影「きよしこ」に抱く特別な思い 講演では他にも「言葉」というものに対して持っている考えや、これまで執筆してきた作品への思いなどを語ってくれた。中でも02年に発売された小説「きよしこ」には特別な思いがあるという。「棺おけに何を入れるかって考えた時に、真っ先にでてくるのがこの作品。それくらい思い入れがある。たとえ売り上げにならなかったとしても、絶対に書こうと思っていた」。幼少期から悩んできたという吃音(きつおん)をテーマに、吃音の少年を主人公とする作品を書けた喜びをそう語った。 また、そうして自分の思いを言葉にすることに関しても「言葉は思いを越えられない。思いが100あるとして、言葉で伝えられるのは80まで。残った20に後悔が宿る。その後悔を否定するような作品は絶対に書きたくない」と語った。 そうした優しさや思いやりが節々に詰まった1時間半の講義は、あっという間に終わりを迎えた。講義終了後、聴衆からは大きな拍手が送られ、重松氏も笑顔で会場を後にした。 「自分を作家にしてくれた早稲田に少しでも恩返しがしたい」との思いで始めたという早稲田での教授生活は、来年3月で終わりを迎える。任期付き教授として在籍できる期間は最長でも10年間という規定があるためだ。今後別の大学から教員のオファーが来たら受けるか?と問うと「いや、ないよ。早稲田で一番いい日々を過ごしたと思うから、もうこれ以上はない」と答えた重松清氏=早稲田大学の研究室で、同大・谷村春希さん撮影「人生の幅」を広げる授業 特別講義を終えた感想を聞くと、「授業では、勉強じゃないことを伝えたいとずっと思っている。専門家じゃないし研究者でもないから、知識を増やすための授業は自分にはできないけど、生活や人生の幅を広げる授業をしたい。自分の小説も同じ。読んでくれた人の幅を広げるために書いている。そして、それが一番の夢でもある。だから一夜限りではあったけど、多くの人に対して幅を広げるお手伝いができたならうれしく思う」と語った。 重松氏が普段大学で行う授業は、自らの考えを述べるだけにとどまらない。学生らは重松氏に与えられた「問い」に対して意見を出し合い、その意見に対して重松氏が評価や助言を行うという、双方向性が特徴だ。 重松氏自身も早稲田で多くの学生と向き合っていくうちに、自分の幅が広がったのだという。「自分の中に持ち合わせている感情とか、思いというのを絵の具に例えると、早稲田で教える前と後では色の多さが全然違う。12色から128色くらいに増えたと思う」 時には学生と自分が持つ意識のギャップに戸惑うこともあるそうだが、その戸惑いも、人として大事にしていきたいのだという。「大人になると会う人が限られてきて、更にベテラン作家として偉くなると嫌いな人は避けることができるから、必然的に幅が狭くなる。だから自分と全く違う感覚を持った学生と会うのはすごく新鮮で面白い」と話す。「好き」を大切に そんな重松氏が学生と向き合う時に大事にしているのが作家という肩書を脇に置いて「一人称単数のオレ」でいることだ。そこには、作家であることを自分の言い訳にしたくないという思いがある。「有名な作家が話をしているんだからありがたく聞け、という姿勢だけは絶対に出したくない。直木賞作家でもあるが、学生たちより何十年も先輩である大人・重松清の授業でありたい。俺の授業を振り返ったときに、あの有名な作家が先生だったとしか語れないんだったら、俺の負けだと思う」と語った。ゼミで教壇に立つ重松清氏。いつもゼミ生の発表から重要な言葉を抜き出して、講評を述べていた=早稲田大学で、同大・竹中百花撮影 重松氏はゼミにおいて、授業よりも更に一歩踏み込んだ話をする。「作家」としてではなく、人生の先輩として、助言をくれる。そんな素の先生から出てくる言葉に、学生らはいつも背中を押されているのだと感じる。 そうして学生と真剣に向き合いながらも、本業である著述業と両立させる重松氏の活力の源泉には、いつでも「好き」という感情があるのだという。「若い頃には野心やお金も原動力としてあったけど、やっぱり最後には『好き』というのが一番強い力として残っている。時間がたつのを忘れるほど好きだから、少々の無理もできる」と語る。 また学生に対しても、「ネガティブなものばっかりを探して、ひねくれていくんじゃなくて、好きになれるものをどんどん探していってほしい。きっとそうしてどんどん好きを増やしていくことが、幸せにつながってくるんじゃないかな」と呼びかけた。健やかであれ 学生として、教授として合計14年間を早稲田で過ごした重松氏が、学生生活を送る上で忘れないでいてほしいというのは「いろんな」ということだ。「この世界にはいろんな価値観や考えを持ったやつがいて、いろんなバックボーンを持ったやつがいる。その『いろんな』を学びとれる場所が大学でもある。だから『いろんな』という言葉を忘れずに、幅をしっかり持っていてほしいなと思う」 重松氏自身は退任後、再度、作家業に力を入れていく予定で、「待ってくれている人がいる限りは、書き続けていたい」と話した。 温かいまなざしで学生を見つめ続けた重松氏が、最後に学生に贈りたい言葉は「健やかであれ」だという。「体だけじゃなくて、さまざまな面でそうあってほしいと思う。今の時代、なかなか大変なこともあるけれど、健やかなことをしていれば、食って寝られる。健やかにやれるものが、一番遠くまでいける。それが健やかに反抗する、というのでも」と言い、取材の最後を締めくくった。 <重松清氏のプロフィル>1963年岡山県生まれ。早稲田大教育学部を卒業後、出版社勤務を経て執筆活動に入る。91年「ビフォア・ラン」でデビュー。2001年「ビタミンF」で直木賞を受賞。著書は他に「きみの友だち」「きよしこ」などがある。