毎日新聞 2025/11/9 12:00(最終更新 11/9 12:00) 有料記事 2275文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷正月の人出でにぎわう道頓堀=1971年撮影 派手な看板の下を、観光客がひっきりなしに行き交う大阪・道頓堀。お好み焼きにたこ焼き、串カツと、いまや食い倒れのイメージが強いが、かつては「道頓堀五座」と呼ばれた劇場が建ち並ぶ日本一の芝居町だった。 私設の「道頓堀ミュージアム並木座」を運営する山根秀宣さん(59)は、そんな歴史に光を当て「劇場都市」の復活を目指している。大阪松竹座の来年5月の閉館が決まり、岐路に立つ道頓堀の未来は――。「日本のブロードウェー」知って ――2019年に開業した「並木座」は、パネル展示や動画、ガイドによる解説で道頓堀の歴史を紹介するとともに、約40席の小劇場機能も備えていますね。狙いを聞かせてください。 回り舞台や花道を設け、内装も江戸時代の芝居小屋の風情を再現しました。道頓堀から劇場が減っていく状況を変えたい。そして、劇場街としての歴史を知ってほしい。そんな思いが背景にあります。 近松門左衛門らが活躍し、数多くの名作が生まれた。回り舞台など歌舞伎独自の舞台装置も、ここから発展していった。それなのに「歌舞伎は江戸のもの」というイメージを持っている人が少なくありません。 今はインバウンドの観光客でにぎわっていますが、エンターテインメントの街としての歴史は、あまり知られていないのではないでしょうか。「日本のブロードウェー」だということを発信していきたいと考えています。 ――道頓堀では、江戸時代から続く「五座」で最後の中座が1999年に閉まり、「最後の大劇場」となった大阪松竹座の閉館も8月、松竹から発表されました。 1626(寛永3)年ごろに芝居小屋が移転してきたことをきっかけに、道頓堀は芝居町として発展し始めました。それから来年で400年です。 節目の年を祝い、街の歴史に再び光を当てようと、まちづくり団体の仲間と相談している中でのニュースに落胆しました。道頓堀での劇場再開を求める署名活動を9月半ばに始め、これまでにオンラインと紙で計3000筆以上が集まりました。 ――道頓堀を劇場街として再生するために必要なことはなんでしょうか。 並木座は、道頓堀で劇場が存続できるのかという社会実験でもあります。 開業から6年ですが、…この記事は有料記事です。残り1364文字(全文2275文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>