毎日新聞 2025/11/9 11:30(最終更新 11/9 11:30) 909文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷江戸後期の文政年間に発行された鳥瞰図の一部。本白根山(左下)の山頂付近に噴煙とみられる描写がある=群馬県立図書館所蔵 死傷者12人を出した2018年の噴火まで活動記録がないとされていた草津白根山の本白根山(群馬県、2171メートル)が、約200年前に噴火していた可能性があると、東京科学大と群馬大の研究チームが国際専門誌に発表した。根拠になったのは、江戸時代に温泉街の観光ガイドとして旅人たちの間で流通した複数の絵図だった。2018年噴火まで「ノーマーク」 草津温泉街では1869(明治2)年に大火があり、多くの史料が焼失した。そのせいもあって、地元で本白根山が噴火する山という認識は持たれず、気象庁や火山の専門家も「ノーマーク」だった。だが2018年1月の噴火で12人が死傷。その後の地質調査で約400年前にも噴火していたことは分かっていた。Advertisement江戸後期の文政年間に発行された草津温泉街の鳥瞰図。背景に描かれた山々の中央に、噴煙を上げる本白根山が記されている=群馬県立図書館所蔵 チームが注目したのは「鳥瞰(ちょうかん)図」と呼ばれる絵図。上空から見下ろした地図のような特徴があり、観光名所を描いた鳥瞰図は当時、旅の土産として人気が高かった。観光ガイドならではの最新の情報を盛り込むため、毎年のように改訂版が出版されたという。文政年間の絵図に「噴煙」 チームは、草津温泉街を描いた鳥瞰図を多数収集し、そのうち出版年が確認できた1810~1938年の計69点の背景に描かれた山を見比べた。その結果、文政年間(1818~30年)の鳥瞰図には、本白根山から立ち上る噴煙が描写されていた。前後の十数年分には本白根山自体が描かれていないことから、この時期に噴火があり、旅人の目を引いたと考えられる。 また、草津白根山を構成するもう一つの白根山(2160メートル)は昭和初期までほぼ常に噴煙を上げていたことも判明。こうした記載は、十返舎一九の「上州草津温泉往来」など同時代の書物とも照合して矛盾がないことを確認したという。鳥瞰図などに残る本白根山や白根山の噴煙の記録=寺田暁彦・東京科学大准教授提供「防災に生かして」 チームの寺田暁彦・東京科学大准教授(火山物理学)は「江戸から明治期の草津白根山は山麓(さんろく)から見えるぐらいの噴煙を常に上げている山だった」と指摘。「歴史資料の焼失により、活発な火山であることは記録からも記憶からも消えてしまったが、実際にはそうではない。後世に伝え、防災にも生かさなければならない」と話した。【垂水友里香】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>