毎日新聞 2025/11/13 08:15(最終更新 11/13 08:15) 1207文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷たすきを受けて走り出すJR九州の4区・花谷そら選手=大分県佐伯市で2025年11月3日、上入来尚撮影 希少がんを発症しても走ることを諦めなかったランナーが表舞台に戻ってきた。3日に大分県佐伯市であった第70回全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)の予選を兼ねた第62回九州実業団毎日駅伝。JR九州の花谷そら選手(24)は目標の全日本大会の出場権獲得を逃したが、笑顔の快走で沿道のファンをわかせた。 半年前を考えると、スタートラインに立てたことすら「信じられない」と振り返る。 山口・聖光高から福岡大に進み、3年時は日本学連選抜の一員として全日本大学駅伝に出場した。2024年春には「新しいチームで新しいことにチャレンジしたい」と実業団のJR九州に入社。駅の窓口業務をこなしながら、3000メートル障害や駅伝で力を磨いてきた。Advertisement しかし、2年目の今季は春先から体調不良に悩まされた。5月に病院を受診すると、鼻腔から腫瘍が見つかり、「嗅神経芽細胞腫(きゅうしんけいがさいぼうしゅ)」と診断を受けた。発症率が100万人あたり0・4人の希少がんだった。 抗がん剤と放射線による治療を受けたが、激しい吐き気や倦怠(けんたい)感が消えず、喉は焼けるような痛みが続いた。流動食も喉を通らず体重は10キロ近く落ちた。第62回九州実業団毎日駅伝のスタート後、競技場から飛び出した選手たち=大分県佐伯市で2025年11月3日、上入来尚撮影 しかし、陸上競技をやめようとは思わなかった。第70回の記念大会で出場枠が増える可能性があった来年元日の全日本大会に向けて、出場権の獲得が現実味を帯びるほどチーム力が高まっていたことが、原動力になった。「自分の陸上人生でチームとして何かを成し遂げた経験がなかった。だからJR九州の皆で初めての全日本に出ることが大きな憧れでした」 夏の合宿ではチームメートのペースに全くついていくことができず、理想と現実のギャップの大きさに毎日のように涙を流した。それでも「大きな進歩はなくていい。一日一歩でも1メートルでも前に進むことが大事」と気持ちを奮い立たせた。 徐々に治療の効果が出始めているとの検査結果も出て花谷選手の陸上への情熱はさらに増していった。JR九州の荒巻亨監督は「無理しないように抑えるのが大変なくらい。それだけ走ることが彼の生きる希望、モチベーションになってくれた」と振り返る。 迎えた九州実業団毎日駅伝、全日本大会の切符獲得には企業チームで上位10位以内に入る必要があった。4区(6・6キロ)を任された花谷選手は、11位(オープン参加は除く)でたすきを受け、「久しぶりで最初は緊張したが、走り出したらすぐに不安は消えた」とペースを上げた。目標を上回るタイムで順位をキープし、後続につないだ。 しかし、チームは順位を上げられず、11位でフィニッシュ。悲願成就はお預けとなった。それでもレース後の花谷選手の表情は爽やかだった。 「率直にうれしくて。走る喜びやありがたみは、これまで経験したことがなかった。この気持ちがあればもっと速くなれると思う」 目指すべきフィニッシュテープは、まだまだ先にある。【角田直哉】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>